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カリフォルニアのアイコン的シェーパー、リッチ・ハーバー逝く

32000本のサーフボードを全て記録してきたビルダー


ここしばらくサーフレジェンドの訃報が相次いでいて、世代交代を痛切に感じる。7月に入ってからも、悲しみのニュースが届いた。カリフォルニア、シールビーチのサーフボードビルダー、リッチ・ハーバーだ。ハーバー・サーフボードといえば、カリフォルニアでは老舗ブランドの一つ。三角形のディケールもかなり渋めで、記憶にしっかりと残る。そのディケールに『シールビーチ』と小さく記されてあることに気づいたサーファーも多いだろう。

シールといえばアザラシという意味だから、 サンタクルーズのような寒いところにある町かなと、なんとなく思っていたが、サウスベイよりさらに南で、ハンティントンのすぐ近くにシールビーチがあることをこの訃報で知った。

ハーバー自身が、生前にある記事で話しているけど、シールビーチは地理的に周囲の町から離れていて、陸の孤島のようなんだという。地図で確認すると、たしかに運河や野生保護区に囲まれている。賑やかな ハンティントンの近くに、こんな閑静な町があったなんて知らなかった。しかもシールビーチは、河口やピアがあるから良いブレイクにも恵まれていそうだ。カルフォルニア行く機会があったら訪れてみようと思う。

さて、そのハーバー氏の足跡を少し振り返ってみたい。サーフボードを作るために生まれ、人生を全うした。そんな印象を彼の半生から強く受ける。ショートボードレボリューションの荒波のなかでも生き抜いたオールドスクールの1人でもある。

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リッチ・ハーバーがサーフボードを作るきっかけとなったのは、両親に買ってもらったサーフボードを盗まれたことによる。1943年生まれのハーバーは、子供のころから海に親しみサーフマットで波に乗っていたが、母親アリスの薦めでサーフィンにハマったようだ。そのボードが盗まれたために、自分で作る決断をし彼のボードビルダーとしての人生が始まった。ボード作りを応援したのが航空機産業に勤めていた父親。当時はグラスファイバーやレジンはハイテク素材だったから父親がノウハウを教えたのかもしれない。

とにかく最初の一本を父親の助けを借りて、家のガレージで作ってみた。しかし全くターンができない代物だったようだ。ハーバーはそこであきらめず、もっと良い奴を作ってみようと2本目に取り掛かった。やがて彼の友人がサーフボードを注文するようになり、彼のサーフボードビジネスがスタートした。だが、ガレージでサーフボードを作っているときに、父親の新車のカマロにレジンを垂らしてしまい、ガレージを追い出される。そこでハーバーはまだ高校生だったのに、サーフボードの店を開業する決断をする。ハーバーは本気モードで高校を中退し、シールビーチ市のビジネスライセンスを15ドルで取得。その日付は1962年6月30日、ライセンスは父親の名が記されている。以来約60年間、シールビーチの同じ場所でサーフショップを運営し、製作したサーフボードの数は32000本以上。

ハーバーサーフボードを有名にしたのは、シェープの技術はもちろんだが、ブランディングも積極的に行ったからだろう。サーフィン雑誌へ毎号のように広告を出稿し、優秀なサーファーへサーフボードを供給。彼らからのフィードバックを生かして、高性能のサーフボードを開発し、顧客の興味を惹きつけるネーミングをそこへ付けた。ベストセラーとなったモデルには『トレッスル・スペシャル』、『バナナ』、『チーター』などがある。またコマーシャルライダーには、1966年の世界戦で2位になったジョック・サザーランド、1965年のUSチャンピオンのマーク・マーティンソン、1966年のマリブ・インビテーショナルのチャンピオン、スティーブ・ビグラー他がいる。またハーバーの元で仕事をしたサーフボードビルダーには、デール・ベルジーやディック・ブルーワーやローバート・オーガストがいる。

ハーバーは同じ場所でサーフショップを営み続けたが、1993年に権利を売却している。しかしシェープは続けた。2015年にはサーフインダストリー・マニュファクチャーズ・アソシエーションからゴールドウェーブアワードを受賞している。また彼の半生を綴った書籍”Harbour Chronicles: A Life in Surfboard Culture”を2010年に上梓した。2021年7月11日、リッチ・ハーバーはシールビーチの自宅にて家族や友人に見守られながらこの世を去った。享年77才

ハーバーと長年のビジネスパートナーだったロバート・ホウソンはハーバーについてこう語った。「『人生を全うし、後悔は一つもない。やりたいと思うことは全て成し遂げたしね』彼は最後にそう思って旅だったと思う」

リッチ・ハーバーは初めて作ったサーフボードからシリアルナンバーを付け続けていて、製作日時などの記録が残されている。彼が最後に製作したサーフボードは、2019年、彼のファンの1人である日本人へ販売されたという。そのナンバーは32,680番。

Photo by Mark Rightmire, Orange County Register/SCNG

(李リョウ)

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