(かつてサンディエゴで毎年開催されていたトレードショー「ASR」会場) Photo by snowy

「サーフィンカルチャー今昔物語2」 – F+コラム

F+(エフプラス)

前回のつづき

初期の大手サーフブランドの発祥はほとんどがオーストラリアだったので、その辺はアメリカのマーケットも似たようなものだけど、日本と大きく違うのは90年代のサーフバブルのころに、アメリカからは国際的に有名になるアメリカ発のブランドが多数生まれていることだ。ボルコム、ハーレー、メイヘム、ロスト、チャネルアイランズ、ニクソン、ドラゴン……いくらでもあげられる。あの頃はアメリカに新しいブランドが現れては巨大グローバル企業になっていったし、昨日まで普通の友人だったやつが次々と億万長者になっていった。

(ASRの出店ブランド) Photo by snowy
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波情報のサーフラインもその頃だったと思う(ちなみに日本初の波情報の元祖BCMのルーツはこれより前なので、世界的にも老舗)。サーフライン立ち上げの時に一枚かまないかって誘われたんだけど、かんどきゃ良かった(笑)。とにかくサーフィン業界にはアメリカンドリームてんこ盛り。だからアメリカは自国の企業で業界を潤わせることができたのだ。

Photo by snowy

アメリカからは世界に羽ばたくブランドがたくさん生まれた。しかし日本からは結局そういう企業は生まれなかった。
日本のウエットスーツは当時から世界的に高く評価されていて、それは今も変わらない。しかし価格は海外と比較すればかなり高価で、国際競争力は持てずにいる。ボードは世界のトップ選手が使って初めて評価されるようなところがインターナショナルマーケットにはあるので、狭き門。誰かが日本ブランドの板でクオリファイして、CTのロッカールームで他のCT選手の目に止まる、みたいな事がないとグローバル化は難しい。

Photo by snowy

クロージングはサーフクロージング自体が90年代後半から世界的に人気が下り坂で、世界に打って出るにはこちらもハードルが高い。
個人的にはこの先も日本のサーフシーンからグローバル化する企業が現れるとは思えない。そうなると、シーンに回るお金は小さいままだ。
業界外から投資させるにはサーフィンはなかなかリスキーだし、より良い投資先は他にいくらでもあるだろう。
結局日本のサーフシーンというのはこの先拡大するのではなく、元の小さくて深い器に戻っていくんだろうな、と思う。小さくても深いので枯れないわけだけど。だから、個々がサーフィンをより楽しめるためにお金が回ればいいのかな、と思う。
地球の裏側のワールドチャンピオンより週末の波だ。

まぁ、昔の遊び人のサーファーみたいに、夜飲んで踊りあかして、そのまま車の屋根に板積んでねーちゃん助手席に乗せて、第三京浜飛ばして湘南に朝イチサーフィン、みたいなことはもうないのかな。飲酒運転厳しいし(笑)。

(このVONZIPPERブースで写っている左の女性は、のちのアンディ・アイアンズ夫人となるリンディ)
Photo by snowy

そもそも何でこんなことをぐるぐる考えたのかというと、うちでは最も邪魔にならないテレビ番組として、90年代とかの2時間ドラマの再放送をよく垂れ流しているんだけど、お決まりの兄弟間の遺産相続争いで人が死ぬサスペンスの設定で、末娘のフィアンセが「世界中の波を追いかけて暮らしているっていう、しょうもないプロサーファーの男」という紹介のされ方で、色黒、ロン毛、派手な柄のアロハに白の短パンみたいなルックス。末娘のほうもその取り巻き的な昔のサーファーギャル丸出しで、あぁ、この当時は一般人の目からしたら「プロサーファーってしょうもない存在」って理解だったんだなぁ、とか思って、そこから考え込んだのよ。
今なら「しょうもない」はつかないだろうし、プロサーファーは世界中で戦って賞金を稼ぐけど、夢の波は追いかけないし、ジョンジョンレベルじゃないとそれで暮らすことはできない。今や幻のビッグウエイブですら、スポーツとしての試合になるわけで、スポーツ、アスリートとしてのサーフィンの立ち位置はブームの頃より現在のほうがだいぶ向上してるんじゃないかと思ったのだ。

しつこくつづく

F+編集長つのだゆき

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