ジェフ・マッコイ photo reference ; mccoysurfboards.com

サーフボードデザイン界の奇才、ジェフ・マッコイ逝く

「ハイパフォーマンスモデルなんて言葉は、アパレル会社の売り文句とおなじだ。じっさいのパフォーマンスや、サーファーにとっての必要なデザインとは関係がないよ、でたらめだね」ジェフ・マッコイ


ジェフ・マッコイはサーフィン大国オーストラリアを代表するサーフボードビルダーで、大胆かつ奇想天外なサーフボードをデザインしサーフィン界へ波紋を投げかけてきた。その一例として1980年代に、レイザーザップと呼ばれるティアドロップ型のサーフボードを開発し、当時トッププロであったシェイン・ホランが大活躍したことでも知られている。
先ごろ、ジェフ・マッコイの訃報がSNSを通じて世界に発信された。このコラムでは、彼の足跡を辿るとともに、サーファーの概念を覆すような彼のサーフボードデザインに触れてみたいと思う。

マッコイは1948年、ニューサウスウェールズ州ゴスフォードで農家の息子として生まれた。14歳でサーフィンを始め、17歳でシェイプを開始した。父親は地元のサーフクラブでキャプテンを務めた。やがて家族は、父親が競走馬を調教する仕事に従事するためにシドニー郊外に移った。それがきっかけとなってマッコイは乗馬を習得しバランス感覚を養ったという。1960年代になるとマッコイは工業製品の木型を製作する仕事を習う。100分の一ミリの精度が求められるその仕事は、厳格な徒弟制度の世界であったが、監督の要求にも応えられる技術をマッコイは習得した。この経験がサーフボードシェイピングにも生かされることになる。

 ジェフ・マッコイ photo reference ; mccoysurfboards.com

やがてマッコイは、子供のころからの夢であったサーフボードビルダーの道を目指すことになる。まず彼は西シドニーのレイクンバに工場があったロン・サーフボードでシェイパーの仕事を請うが、シェイパーではなく仕上げのレジンを塗るフィニッシュコーターとして雇われた。しかし半年後にはシェイプをするようになっている。その後、ビル・モーテンという人物とマッコイはM&Mというサーフボードブランドを立ち上げるが短命に終わってしまう。

しかし仕事を通じてバリー・ベネットと知遇を得たおかげで、M&Mが解散してからはベネット・サーフボードで働くことになる。そのときにマッコイは、サーフボードビルダーのウェイン・バートンと出会いビルダーとしての影響を受ける。当時、シドニーのノースナラビーンにはオーストラリアで最高レベルのサーファーたちが集結していた。名前を上げるとコル・スミス、マーク・ウォーレン、グラント・オリバー、テリー・フィッツジェラルド、サイモン・アンダーソン等がいて、彼らのサーフボードをジェフ・マッコイがシェイプしていた。その後ジェフはキーヨ・サーフボードへと移る。

やがてマッコイは、彼を慕うサーファーたちからブランドを作るように推される。ジェフが自分自身のブランドを立ち上げたのは1970年になってからで、シドニー郊外のブルックベールにサーフボード工場を建てた。この決断にはマッコイが尊敬するレイ・リチャードという人物の後押しがあった。そのレイの息子はのちに4度の世界チャンピオンになるマーク・リチャードである。彼の新ブランドは順調に成長し、週に65本もサーフボードを製作するまでになる。そんななか、ジェフはハワイへの巡礼を続け、かの地でのサーファーたちと交流を持つ。そのなかにはジェフ・ハックマン、リノ・アベリラ、バリー・カナイアプニなどがいる。

1978年になるとマッコイはアメリカにマッコイUSAを立ち上げ、その勢力をハワイや日本にも広げた。当時彼の下で活躍していたサーファーにはブルース・レイモンド、ラリー・ブレア、シェイン・ホラン、ニッキー・ウッド、ダミアン・ハードマン他がいた。1978年と1979年にはラリー・ブレアがマッコイのボードに乗りパイプラインマスターズで連続優勝を果たす。

順風満帆に見えたマッコイだったが、不運が訪れる。マッコイはシェイピングだけに傾注していたために、経営はマネージャーを雇って一任していた。ところがその人物が多額の借金を残したまま行方不明となる事件が起きた。負債が明るみとなって会社は倒産し、人間不信に陥ったマッコイは失意のまま隠遁生活へ入る。

マッコイが活動を再開したのは1991年になってからであった。1992年には日本を訪れパートナーとなるミエコ氏と出会う。以来2人は二人三脚でマッコイサーフボードを運営してきた。

マッコイのデザインについて

ジェフ・マッコイはオリジナリティに溢れたサーフボードデザイナーで、唯一無二の存在といえる。その点で考察すれば、その独創性は、シモンズボードを開発したボブ・シモンズに匹敵すると言っても過言ではないだろう。つまり既存のデザインを継承せず、独自の視点でサーフボードを構築しているところに2人の共通性があるからだ。あまりに斬新なマッコイのデザインは、ときにはこれでサーフできるのかと思ってしまうほどだ。しかしそのコンセプトは、人によって意見の相違はあるものの、理論的には既存のデザインの欠点を補っていると言えるだろう。

シェインホランとレーザーザップ photo reference ; surfer magazine

例えば1978年、1979年、1981年、そして1982年とワールドツアーで総合2位になったシェイン・ホランは、マッコイのレイザーザップというサーフボードを試合で使った。それは極端なティアドロップで、ホランしかコントロールできないと揶揄されたこともあった。だがスタンスや体重の移動をしなくても簡単にコントロールできるという性能を、そのボードは秘めていたのである。しかしながら、当時このボードにはバナナシェイプのフィンや、ウイング型のスターフィンが装着されていたこともあり、ツインフィンやトライフィンが隆盛だった時代に主流にはなりえなかった。(これらにまつわる論争は現在も続いている)。のちにシェイン・ホランは1989年のビラボンプロでマッコイのサーフボード(おそらくダブルエンダーというモデル)とトライフィンのセットアップで優勝し、マッコイのデザインの有効性を証明している。

 ジェフ・マッコイ photo reference ; mccoysurfboards.com

マッコイのデザインは総じてボリュームがあってテイルがワイドなものが多い。それによってパドルが楽でテイクオフが早いという特性を得ている。またドームボトムを取り入れることでコントロール性を向上させている。これらは現在主流とされているサーフボードデザインに対して、真逆の発想だろう。だが、マッコイのデザインを支持する熱烈なファンが世界中に存在していることを考えると、70年代に経営上のトラブルにマッコイが見舞われなければ、現在のサーフボードデザイン界の趨勢(すうせい)は違っていたものになっていたかもしれないと筆者は考える。

2023年4月23日、マッコイ氏を偲ぶメッセージがSNSにとつぜん流れた。その真偽がしばらくは定かではなかったが、やがてマッコイサーフボードのHPに以下のメッセージが掲載された。
「『永遠のサーフィンへと向かう。キープサーフィン』ジェフ・マッコイ1944/6/28~2024/4/22」
故人の冥福を心より祈りたい。

(李リョウ)

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