アイスバッハ川でサーフィンするミック・ファニング via RedBull website

50年続くドイツ・リバーサーフ死亡事故から復活!ローカルが語る波への愛

50年以上に渡りサーファーが受け継いできたドイツ・ミュンヘンのアイスバッハ川リバーサーフィンが、今月復活した。昨秋の死亡事故後、サーフィンする者には高額な罰金が科され、サーファーらは「サーフィンは犯罪ではない」と、時にゲリラ的な抗議活動を展開してきた。

アイスバッハ川のリバーサーフは、単なる遊びの域にとどまらず、長年、ミュンヘンの観光名所の一つであり、「ストリートサーフィン」とも言える独特なカルチャーを育んできた。そして、この波の仕組みは、現代のウェーブプールの参考になったとも言われる。

不幸な事故を経て、消滅の危機から復活したドイツの内陸サーフィン。ミュンヘンに暮らす筆者の友人で、サーファーのリアは、ローカルたちが抱くアイスバッハ川への強い「愛」を語ってくれた。

サーファーが作り上げた非合法の「波」

Photo by Alistair MacRobert on Unsplash

「ミュンヘンは世界最大のビールの祭典オクトーバーフェストや強豪サッカークラブのFCバイエルン・ミュンヘン、自動車メーカーBMWなどが広く知られるけど、中でも、独自の魅力を放つ名所が、英国庭園という広大な公園を流れるアイスバッハ川でのリバーサーフィンよ」。リアはそう胸を張る。

その起源は1970年代に遡る。当時、海から遠く離れた内陸都市のサーファーたちが、川の中に木製の傾斜版ランプを沈めて水流をコントロールし、サーフィン可能な波を作り出した。当初は非合法の遊び。警察の目を盗んでサーフィンしながら、密かにランプのメンテナンスを続け、何十年もの時間をかけて川底に波を安定させる砂州を築き上げたという。

やがて、この波は世界中のサーファーの知るところとなり、2009年にはドキュメンタリー映画『Keep Surfing』で取り上げられるなど、独自の進化を遂げたカルチャーとして知られるようになる。そして2010年、当時の市長が「自己責任」を条件にリバーサーフィンを正式に合法化。密かな遊びは、やがてミュンヘンが世界に誇るストリートカルチャーへ発展した。

アイスバッハ川リバーサーフィンを巡るコミュニティを描いた映画「Keep Surfing」

毎日何百人もの観光客が橋の上から躍動するサーファーたちを眺め、カメラを向けた。世界チャンプに3度輝いたミック・ファニングやフリーサーファーの代表格ロブ・マチャドも、アイスバッハ川の波でエンジョイ。海がない街で、トップアスリートと地元の若者が波を分かち合う比類なきサーフスポットとなった。

アイスバッハ川サーフィンの歴史

1970年代リバーサーフィンの始まり(非合法)
2009年映画「Keep Surfing」公開
2010年ミュンヘン市がリバーサーフィン合法化
2025年4月女性サーファーの死亡事故が起き、遺族が市に対して法的手続き
→市はサーフィン禁止し、違反者に5万ユーロの罰金
6月事故原因調査の結果、市はサーフィン禁止を撤回し、再び許可
10月市の清掃で川底が破壊され波が消滅
12月ローカルらがクリスマスに非公式のランプ設置→市が撤去
2026年1、2月国際的なメディアが現状を報道→市とサーファーらが議論、交渉
3月サーファーらによる大規模抗議デモ
5月新市長がリバーサーフィンを許可→波が復活

 悲劇と市の介入による波の「消滅」

Photo by Luis Fernando Felipe Alves on Unsplash

アイスバッハ川のサーフシーンが暗転したのは、昨年4月。真夜中に、この川でサーフィンしていた女性が命を落とした。彼女と、その場にいた恋人はともにビジターで、特殊な川の波に不慣れだったとされる。リーシュコードが水中に引っかかったまま、救助が遅れたのが原因だった。

この波は元来、激しい水流と複雑な川底の形状から、熟練の上級者専用スポットだったが、遺族がミュンヘン市に対して法的責任を問う姿勢を見せると、市当局は即座に反応。調査のために波の周囲にフェンスを張り巡らせ、サーフィンを禁止。サーフィンした者には5万ユーロ(約900万円)という莫大な罰金を科し、警備会社まで雇い入れた。

ただ、川底の調査の結果、特定の危険要因は見当たらず、市に直接の責任はないと結論付けられた。6月には、夜間サーフィンの禁止や、一定の力がかかると外れる自動解放式リーシュの着用といった新ルールの下、市はサーフィン再開を許可した。

清掃で川底を破壊

Photo by Markus Spiske on Unsplash

しかし、本当の危機はここから。10月、市が行う毎年恒例の川底清掃の際、業者がショベルカーでゴミを取り除くだけでなく、サーファーたちが何十年もかけて築き上げた、波の形成に欠かせない砂や石を根こそぎ撤去してしまったのだ。

リア曰く「何十年にもわたって、川底にはそれ自体で波を形成できるほど安定した砂州ができ、2020年にランプは撤去されていた」という。事故から再開したばかりというタイミングで、図らずも、アイスバッハの誇る波は消滅。残ったのはサーフィン不可能なホワイトウォーターだった。

怒りのローカルたち「サーフィンは犯罪ではない」

ホワイトウォーターでのサーフィンは危険との判断から、市は再びアイスバッハ川のサーフィンを禁止。意図せず波を奪われたローカルたちの落胆とフラストレーションは計り知れなかった。市もローカルたちと話し合ったり、大学の河川専門家らを招いて波の再建実験を試みたものの、すべて失敗に終わった。

昨年のクリスマスには、しびれを切らしたサーファーたちが、ゲリラ的にランプを設置し、白昼堂々と波乗りを楽しむ様子をSNSで拡散。橋にかけた横断幕に「ただ見ていて。クリスマスの奇跡」と掲げた。

しかし、市当局は即座に消防隊とクレーン車を派遣し、力ずくで板を引き抜き、わずか1日のうちに再び波を破壊。リアは「市は安全管理を盾に、意図的にサーフカルチャーそのものを潰そうとしていると感じられ、ローカルたちの怒りは頂点に達した」と話す。

サーファーらは、波を取り戻すために新たに「Surf Club München」を設立。メディアへのアピールや公開書簡の発表、市との粘り強い交渉を展開し、3月には地元サーフショップやプロ選手を含むサーファーが「サーフィンは犯罪ではない」とプラカードを掲げ、デモを実施した。

リアもこのデモに参加した。「公式の参加者は250人だったけど、もっと多かったと思う。500人はいた。デモ以外も、『私たちの波を返せ』『サーフィンは私たちの人生だ』と書かれた抗議の横断幕が連日、街中に掲げられては、市に撤去されるという事態が続いてた」と振り返る。

新市長の英断とサーフィンの新条件

膠着状態を打ち破ったのは、政治の転換だった。今春の選挙で、ドミニク・クラウゼ新市長が誕生。新体制発足からわずか数時間後、クラウゼ市長は「アイスバッハでのサーフィンはミュンヘンの生活様式の一部であり、あの波はミュンヘン市のランドマークである」と、アイスバッハ川のサーフィンを許可する改正令を発令。今月からアイスバッハ川の波は修復され、リバーサーフィンが再開した。

再開前と同様、利用できるのは「熟練の経験豊富なリバーサーファーのみ」で、時間は午後10時まで。自己責任の原則のもと、自動解放式リーシュの使用は必須だ。

 「生きている」と実感する場所

海でのサーフィンをメインとするリアは、難易度が高いアイスバッハ川でのサーフィンは未経験。「上級者向けの波に乗れるほど、まだうまくないの。でも、あの有名な波でサーフィンできるようになることは、ミュンヘンのすべてのサーファーの夢よ。そのために、他の波でトレーニングしているの」と語る。

アイスバッハ川リバーサーフィン復活に動いたサーファーらの熱意は、この波が彼らにとって特別な存在であることを改めて証明した。リアがその思いを代弁する。

「アイスバッハ川サーフィンは、観光スポットであり、企業のキャンペーンではクールさの象徴として定期的に利用されてきたけど、ここはサーファーにとって、それ以上のもの。世界中のサーファーが知ってるリバーサーフィン誕生の地であり、世界中の都市にある人工波の礎だから。世界チャンピオンたちが、一生に一度はこの波でサーフィンするためにミュンヘンを訪れ、グローバルなサーフカルチャーの拠点にもなった。ハードワークとビジネスの成功で知られる忙しいこの街で、アイスバッハ川は幸福の源であり、志を同じくする人々と出会う場所。年齢や職業は関係なく、重要なのはお互いへの敬意と、サーフィンへの情熱で団結することだけよ。海でサーフィンする私たちにとっても、アイスバッハ川は内陸にいる時でも、生きていると感じられるところなの」

(沢田千秋)

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