蔵出し写真パート2:1989年新島・サイモン・ロウと大野薫

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蔵出しシリーズ2
1989年6月、新島きちろん。この年の新島はポッツ(マーティン・ポッター)優勝で、シーズンスタートから3連勝、そのままワールドタイトルを取ったと記憶している。
当時は確か、春の新島、秋の部原みたいな感じで、年に2回もワールドツアーが日本にやってきた。これもGORDINHOの写真。左から大野薫(おおのかおる)、私、オーストラリアのサイモン・ロウ。
1年たっても布団の上という取材風景。だけどレコーダーがあるのは進化、かね。メモもあるけど(笑)。でかいね、カセットレコーダー。マイクロカセットですらなさそうだ。
ほら、写真撮ってるからあっち向いて、みたいな感じで手を出している大野薫はすでに故人になっているけど、鵠沼在住だったジャーナリストとしての先輩のこの人は、私が最も大きな影響を受けたひとりだといえる。

わざと嫌われたがるようなところのある、めんどくさい、いやなオヤジではあったけど、言っていることはたいていの場合非常に正しかった。正しいので、不都合な真実とも言えたし、まだそれを大っぴらに言うことがはばかられるような時代だった。
いまでこそ、それを言っちゃうオレって、すごくね? 的な人も多く出てきたけど、薫はそういうのではなかったと思う。言っちゃうオレがどうこうというよりは、それを言わない日本のジャーナリズムがダメなんだ、世界じゃ誰でも知ってることなのに、のほう。井の中の蛙、草食、手乗り、オコメな人たち……薫の言いえて妙な名言はいくらでもある。「あいつ手乗りなんだもん」のひと言で、「あいつ」がどういうタイプか明確にわかる(笑)。

日本では極秘扱いのようなことも、海外では普通に雑誌に掲載されていること、その人と仲良くならなければ本当のインタビューはできないこと、英語は自分が話さなければ絶対に覚えられないこと……そういうことはすべてこの人に教わった。
薫はドッグタウンのような、パンキーなカリフォルニアのスケートボード文化を日本に持ってきた人でもあり、その辺のアメリカンカルチャーへの嗅覚は抜群だった。アメカジ全盛期。

薫が後年になって私に、カラニ・ロブってどんな子? と聞いてきたとき、私は何か大きな壁をようやく乗り越えた気がした。長いキャリアの中には、こうして先輩を乗り越えた瞬間のようなものがいくつもある。私の時代の諸先輩方は、今と違ってかなり面倒な実力派ぞろいで、認めてもらう、立ちはだかる壁を乗り越えるのに苦労した。当時日本にはサーフィン専門誌が3誌も4誌もあって、けっこう排他的な男社会。ファッション誌のファインのお姉さんとしては、その専門誌の先輩たちと話をするのは非常に敷居が高かった。だいぶ後になってみんな普通に話をしてくれるようになったけど、そこまでたどり着くのに私にあったのは、結局は時間と継続、という武器だけだったような気がする。ただひたすら現場に通い、挨拶をし、笑顔を振りまく。そんな日々(笑)。

サイモン・ロウはオーストラリアの選手で、ワールドツアーで私が一番最初にこの人カッコイイ、と思った選手。こういう、リーマン的な短髪の正当イケメン好きなんですよ。パイプライナーで、パイプのビッグウエイブをスイッチスタンスで行っちゃうすごい人。のちに当時のGFと結婚して、その頃からだったか、しばらくしてか、徐々に聴覚を失っていく。遺伝性のある病気のようで、彼の父親もそうだったように、彼も徐々に聞こえなくなっていった。だから今読唇術を勉強してるんだよ。とも言っていた。
21世紀になって久しぶりにハワイで再会したときは元気そうだった。もう30年もたつので、いい治療法ができてるといいと思う。

トム・カレン、コング(ゲーリー・エルカートン)、ポッツ、バートン・リンチ、ブラッド・ガーラック、リッチー・コリンズ、デイブ・マコーレーあたりの時代。もちろんビフォーケリー。

F+編集長つのだゆき

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