インタビューに応じる前田マヒナ Photo:THE SURF NEWS

【前田マヒナ・独占インタビュー】パリ五輪のチョープーで誓うリベンジ 日本屈指の女子ビッグウェーバーの再挑戦

ハワイ出身の前田マヒナ(25)が、東京五輪サーフィン競技の日本代表だったことを覚えている人はどれだけいるだろう。日本人の両親のもとで生まれ、ハワイの大波で鍛えた実力で勝ち取った日本代表だったが、直前でメンタルにダメージを受け、結果は3回戦敗退。男女ともメダルを獲得し、歓喜する“波乗りジャパン”に背を向け、早々に会場を後にした。

もう一度、五輪に向けて奮起した理由は、パリ五輪のサーフィン競技会場が世界有数の激しいチューブで競うタヒチ・チョープーに決まったから。日本の女子選手の中で、最も大きくタフな波に挑んできた自負があった。マヒナはハワイ語で「月」を意味する。もう一度、その名を日本中にアピールするチャンスが欲しい。「もし代表になれたら、それは運命だと思う」。東京五輪で何があったのか、そして、パリ五輪への秘めた闘志について語ってくれた。

ハワイ・パイプで負傷し選考会の静波へ

東京・南青山のオフィスビルに現れたマヒナは終始リラックスした表情だった。ハワイ・オアフ島で育ち、母語は英語だが、日本語もめきめき上達。インタビューでは、適切な言葉を探しながら、日本語で丁寧に受け答えした。

インタビュー直前の2023年末、パリ五輪最終選考大会となる「2024 ISA WORLD SURFING GAMES」の日本代表に決まった。まずは、ここで日本代表となることがパリ五輪への絶対条件だった。

WSG選考は静波サーフスタジアム。ハワイ・オアフで開催された招待制のビッグウェーブコンテスト「Vans Pipe Masters」に出場を果たしたマヒナは、大会終了から10日あまりで、水着から突如、ブーツ、グローブ、4ミリのラバースーツというフル装備でコンパクトな人工波にアジャストする必要があった。

Vans Pipe Mastersでの前田マヒナ(本人のインスタグラムから)

「日程的にタイトだったし、実はパイプの最後の波に思いっ切りいったら、海底で頭を打ってケガしちゃったの。そこからちょっと頭が痛くて気持ち悪かったから、全然海に入れてなかった。静波の初日はすごく緊張してたけど、1日超えたらなんとかなるかなって。(2023年の)春と夏、タヒチでの強化合宿でやる気を見せられたのも評価されたと思う。NSAもJOCも私がチョープーでできるって分かってくれたからこそ、ウェーブプールでもがんばって成績を残さなくちゃいけないって自分でも思ってた」

パリ五輪の女子の代表は松田詩野が内定。残枠の1名は、プエルトリコで2月に始まるWSGで7位以内に入ることで代表の座を得る。また、日本が国別1位となれば、さらにもう1人、パリ五輪への切符を手にすることが可能だ。東京五輪で銅メダルを獲得した都築有夢路とともに、2度目の五輪を狙う。

世界を制したジュニア時代

マヒナが頭角を現したのは約10年前だった。2013、2014年、ISAの世界ジュニアU-16を連覇。2014年にはWSLのジュニアタイトルも取り、CTにワイルドカードで出場するなど、CTクオリファイ間近にいた。2015年には弱冠16歳でポルトガル・ナザレに挑戦し、史上最年少と称賛された。

世界チャンプとなったジュニア時代 Photo:WSL / Poullenot

2018年には、東京五輪のために国籍を日本に変更。2020年、新型コロナウイルスの脅威を受け、東京五輪は1年延期された。翌2021年のWSGで結果を出せなかった松田詩野は、暫定的に持っていた五輪出場枠を落とす。代わりに、マヒナと都築有夢路が日本代表となった。

五輪に行けるかは「運命」

マヒナは当時を振り返って言う。
「東京五輪に出られたことは運命だった。私とアムちゃん(都築有夢路)がクオリファイしたことは本当によかったけど、詩野がうまくいかなかったこともすごい、悲しいというか、I feel bad. やっぱり。でも、それが私たちの運命だった。今年、詩野が日本代表に決まって、アムちゃんと2人ですごい悔しいって思ったけど、でも(東京五輪では)詩野が一番悔しかったんじゃないのって2人で言ってたの。でも、それは運命だったからしょうがない。だから、今回私が(パリ五輪へ)クオリファイできても運命だったとしか考えない」

必死の思いで手にした東京五輪の出場権だったが、ラウンド1を4位で敗退。敗者復活戦のラウンド2は勝ち上がったが、ラウンド3で、2023年のCTチャンピオン、キャロライン・マークス(米国)に敗れ9位タイで終えた。

ビッグウェーブとチューブライドに定評のある前田マヒナ。しかし東京五輪ではスケジュール前半のスモールウェーブに苦しんだ Photo: THE SURF NEWS /Kenji Iida

失意の中、マヒナは他の日本選手の結果を見届けることなく、会場だった「志田下」の海を去った。

五輪直前、夜に泣きながら電話

マヒナ側の関係者がその舞台裏について言及した。
「いろいろあって、始まる前からもう限界にきていて。メンタル的にはもう帰りたいぐらい。夜泣いて電話かかってくるぐらい。でも、これはオリンピックなんだし、代表なんだから頑張りなさいって言って。結果本来の力をあまり出せなくて、自分の試合が終わった時、チームに申し訳ないけども、もう引き上げさせてくれって。ハワイのお友達が亡くなって、それも一つの要因。本人はデリケートで、周りのことをすごい気にかけちゃうから、他の子たちが何か被害を受けた時に、自分が間に入ってあげちゃうとか、フォローしてあげちゃったりとか。それをやると、結局全部自分にかぶる。周りに何かあったときに大丈夫?って言っちゃうタイプ。いいところでもあり、コンペティターとしてはちょっと弱いところもあるかもしれない」

マヒナは「見た目が怖いって言われる。でも、私はけっこう”giver”っぽい。ちゃんと『ノー』って言いたいけど。なんか言いにくいなって」と照れる。

そして「あまり言いたくないし言い訳もしたくない」と前置きした上で、「いろいろあっていい成績残せなかったと思ってる。せっかくクオリファイして、五輪出てることがうれしかったのに、嫌な思いがいっぱいあって。みんなオリンピアンって褒めてくれるけど、本当はその記憶を消したいって気持ちがある」と、2年半前の悔しさを強くにじませた。

東京五輪の開会式で都築有夢路と(前田マヒナのインスタグラムから)

「大波やチューブの自信は100%」

東京五輪後は「すごく長い時間ダウンしていた」という。そこから立ち上がるきっかけをくれたのは、パリ五輪会場のタヒチ・チョープー決定だった。「パリのオリンピックにまたチャンスがある、可能性があるから、ちょっとまた明るくなった」

幼いころから、ハワイの自宅には日本人サーファーがよく遊びに来ていたが、いつしか、マヒナがチャレンジするビッグウェーブに付いてくる子はいなくなった。「大きい波やチューブでは、日本の女子で一番の自信が100%ある」という。

では、東京五輪での経験をどう活かすのか。「経験したことは多分プラスになったと思う、ネガティブなことでも。オリンピックってやっぱりWSLみたいではない。ちゃんと日本チームで動かなくちゃいけないし、メディアもすごいいるし、プレッシャーがあった。それを1回経験したから、また日本代表になれたら、自分をちょっと変えようかなと思った。周りの人はコントロールできないじゃん。自分しかコントロールできないから」

松田詩野と読書でリラックス

東京五輪の舞台裏について言葉を選ぶ前田マヒナ Photo:THE SURF NEWS

また、不器用で「2つのことを同時にできない」と自己分析。東京五輪前、最終予選からのスケジュールがハードだった経験を受け、2023年はWSLツアーを回らず、パリ五輪だけにフォーカスしてきた。最近、集中力を高めるために取り入れているのは読書。松田詩野と一緒にハリー・ポッターシリーズにはまったという。

パリ五輪最終予選となる2月のWSGの会場、プエルトリコの波の情報は日本チームにとって多くない。そこでマヒナの人脈が役立っているという。ジュニアからツアーを回っていたため、世界中に友人がいる。マヒナがローカルの1人と連絡をとり、波の動画を送ってもらい、“波乗りジャパン”で共有したという。

「プエルトリコは意外と(チューブではなく)技の波だった。私はWSLを回ってないし、ちょっと試合運びの練習もした方がいいかも、もう一度。テクニックを練習することは大切だけど、ベストサーファーは優勝しない、ベストコンペティターが優勝するから。試合運びが一番大切。そっちの方に集中する」

「チョープーのチューブは広くて気持ちいい」

チョープーの合宿でも、マヒナが親しいタヒチアン、テレバ・デイビッドが“波乗りジャパン”のコーチングをしてくれた。「波待ちをする場所や波の角度の情報がすごくよかった。チョープーは波待ちで座る場所は決まってて簡単。だけど、簡単じゃない。ラインナップが意外と狭いの。ラインナップが完璧じゃないとミスする。6-8フィートぐらいだったけど、風が吹いててけっこう怖かった」

合宿中、セットの波に乗った後、次の波にはまっていまい、ジェットスキーのピックアップも5回ミスして、水を飲み、疲れて苦しく死にそうな思いをした。だが、コロナ禍で、呼吸法を学んだことが命を救ったという。

「怖いけど、チューブが好き過ぎて。一番おもしろいし気持ちいい。チョープーのチューブって、もう広すぎて。普通のチューブは狭くて動けない気がするけど、チョープーのチューブは、なんかもう中でご飯食べられるみたいな。すごく気持ちいいの、スペースがあって」

外国で育った者同士、コナーとの絆

2024年のWSG日本代表選手 左端がコナー・オレアリー Photo: THE SURF NEWS

今回の五輪では強い味方もいる。オーストラリアで育ち、五輪のために国籍を日本に変え、事実上のパリ五輪代表となったコナー・オレアリーだ。同じような境遇を抱える者同士、支え合っている。静波での選考会を終えた際、駐車場でコナーがマヒナに言ったという。「前の(五輪の)話も聞いたこともあるし、自分がちゃんと守るから一緒に頑張ろうね、2人で」

マヒナは、コナーの言葉に心底安心した。「私の気持ちとコナーの気持ち、やっぱり日本と外国の国籍を両方持ってるし、いやな思いもあることを一番理解してると思う。記者会見の時も、コナーがすごく日本語を頑張ってるのが嬉しかった。コナーは初めての記者会見ですごい緊張してたって言ってて。でも大丈夫だよって言ったの。コナーの気持ちは分かる」

パリ五輪「リベンジ」で金メダル目指す

「チョープーじゃなかったら、五輪を目指していなかった」と言い切るマヒナ。「チョープーはチューブだしグーフィーだし大きな波だから、それは自分の一番の能力だから。絶対やりたい。リベンジって英語だとちょっとネガティブな言葉なの。復讐とか報復的な。でも、そういう感じで言いたいの。東京の成績が良くなかったから、本当にパリでリベンジしたい」

最後に日本のファンに向けて、メッセージをお願いした。

「応援してくださる方、本当にありがたいです。またチャンスをもらえたことで、頑張りたい思いです。チョープーと地元ハワイの波は似ているし、このチャンスが、人生でもう1回あるのは普通じゃないことだから、気合が入るし、凄く楽しみにしています。プエルトリコでオリンピックにオリファイするために本当に頑張ります。金メダルを目指します。ありがとうございます」

(沢田千秋)

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