一人旅の“最高と最低”を考察(サーフトリップのすすめ)

シリーズ「サーフトリップのすすめ」No. 6

ソロトリップ・サバイバル編

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『最高と最低』という振り幅

ソロトリップの特色は、一人旅だからこそのハプニングに遭遇することだろう。でも『旅』なんだから一人旅でなくてもハプニングはあるのではないか、と思う人もいるかもしれない。一人旅が他の旅と異なるのは、そのハプニングがまるで時計の振り子のように振れ幅が大きく発展するところだ。つまり『最高と最低』に出会いたかったら一人旅に尽きる。

さて今回は、わたしの振り幅が大きかった旅をお話ししようと思う。ソロトリップというキーワードで旅の思い出を検索してみると、1994年のインドネシア、ニアス島の旅がヒットした。

ちなみに、なぜこのときに一人旅だったかというと、オーストラリアも含めて1ヶ月半の予定だったから、つき合ってくれるサーファーが周囲にいなかったのが実際のところだ。しかし一人になったことで、ソロトリップ特有の『最高と最低』を味わうことにはなった。

水平線に見えるのはアスのレフト。ニアスの波が小さいと、有志を集めてヒナコ諸島へボートトリップとなる。船室のほぼ無いこの船で四泊五日を耐えた。この写真はニコノスというフィルムカメラで泳いで撮影

この旅での『最悪』は、シビアな怪我と病気を経験したことだ。サーフィンで怪我といえばだいたい予想がつくが、ニアス島のあの有名な波ではなく、ニアス島から船で渡ったヒナコ諸島のサーフブレイク『バワ』でのことだった。バワの波は、リトルサンセットと呼ばれるほどのクォリティーで、余裕のワールドクラス。波質は、大きな厚いスウェルが前へ前へとプッシーに進む、いわゆるハワイのサンセットビーチのような波、インサイドで大きく巻いてくるのも特徴だ。映画「サーチ」でトム・カレンが、短いフィッシュでバレルをメイクして有名になったのがこの波、といえば思い出す人もいるだろう。わたしが怪我をしたのはこのバワのインサイドだった。(トムがバワでサーフしたときと同じ1994年)

ちなみにヒナコ諸島にはもう1つサーフブレイクがあってそこは『アス』というレフト。アスはスウェルが岩棚にヒットして、前というより横へめくれていくような高速レフト。

黒いTシャツがスティーブ。ウニ漁のダイバーで、バハ半島のサーフキャンプにかけてはスペシャリスト。船底で本を読んでいるのはバーテンをしながら世界中をサーフトリップしているイギリス人。右で釣りをしているのは彼の友人。カラフルな熱帯魚がディナーとなった

さて、この旅のはじまりへ話を戻す。ヒナコ諸島のことは、SMACという飛行機でニアス島へ向かうときに知った。教えてくれたのはパダンの国内線ロビーで出会ったスティーブというアメリカ人。プロペラの爆音が響くその機内で、ボールペンで書いたメモのような地図を彼が開き「俺はここに行きたいんだ」と叫んだ。

そこには、ジャガイモのような形のニアス島の左下に、ポツンと胡麻(ごま)のような小さな丸印が記されてあってHINAKOと矢印があった。わたしはニアスの波のことしか考えていなかったから、「そこまで行くのはたいへんだな。ぼくはニアスで十分だよ」って思ったことを覚えている。とにかく、お互い一人旅ということで、空港から波のある南のラグンディーまでは一緒にという暗黙の了解はついていた。当時のわたしは英語が全くというほど話せなかったが、そこはサーファー同士でなんとなくサムシングは通じていた。

左がスティーブ、右はオージーで名前は忘れた。じつは女性サーファーが一人参加して船室は彼女の専用となり、男たちはデッキで眠った。デッキは運動会のテントのような屋根があるだけで、雨が降るとずぶ濡れとなった。トム・カレンを乗せた船がこの辺りにいるという噂が届いていて、彼がバワでサーフした映像が映画「サーチ」のフッテージとなったが、遭遇はしていない

スティーブとの出会いはこの旅の『最高』だった。空港から南に行くまでの車も彼が交渉して安くなり。波のあるラグンディーに着いても同じ宿に泊まり、彼を介してオージーやキウイのサーファーともすんなりと仲良くなり(これ重要)、結局その流れで彼らに誘われてヒナコ諸島へ行った。しかも、スティーブとは数ヶ月後にカリフォルニアで再会し、彼の4WDでサボテンやコヨーテがいるバハ半島の砂漠を横断し、シークレットポイントへ連れて行ってもらうという、サーファーならば誰もがヨダレを垂らすような幸運にも恵まれたからだ。最高だよね。

さて、ヒナコ諸島で負った『最悪』の怪我の続きを話す。バワは水深があるとわたしは聞かされて調子に乗って攻めすぎた。インサイドで巻かれてリーフに叩きつけられ、右太ももに熊に引っ掻かれたような傷を負った。まるで彫刻刀でざっくりと溝を彫ったような傷跡が7~8本、長さは40cmくらい。(30年近く昔の傷だが、まだうっすらと残っている)足の裏も切って歩くたびに傷口が痛んだ。痛みをこらえて船になんとか上がり、恐る恐る傷を見ると、血が右足を覆うようにしたたり落ちていた。日本だったら病院へ直行したと思う。

その怪我で、自分の置かれている状況をやっと悟った。インド洋に浮かぶ赤道直下の無人島、乗っているのは重油の匂いが鼻につく小さな木造船。サーファー9人と船長と船員3人がまるで難民ボートに揺られているようだった。船室は無いに等しく、雨が降ればボードケースの中で眠るというボートトリップ。そんな環境で怪我をしたらどうなるか、しまったと思ったときにはもう遅かった。予定はまだあと1日あった。わたしのためにニアス島へ戻ろうとは誰も言いださなかった。

一晩がまんして、翌日ニアスへなんとか戻ったのだけど、だからといって病院があるわけない。持参した傷薬はヨーチンを浸した脱脂綿だけだった。それを傷口に毎日塗った。ヨーチンを傷に塗るたびにその痛みに耐えた。「とにかく消毒と乾燥だ、化膿して壊疽(えそ)になってたいへんだぞ。死んだサーファーもいる」と同じ宿のサーファーたちに脅された。

ニコノスで水中撮影にも初チャレンジした。これはピンボケで構図も狙ったわけではないが、このトリップがサーフフォトグラファーとしての第一歩となった。波に乗っているサーファーは旅のリーダーで、ムースと呼ばれていた。彼はサーフトリップのベテランで、怪我の予防のためにショートジョンとブーツは必ず身につけてサーフした

近くの港町テルクダラムへ行けば、中国人が経営している薬局があって、化膿止めの飲み薬を売っているという。バイクの後ろに乗って向かってみると、薬局ではなくただの雑貨屋だった。でも化膿止めの薬があるというから買って宿に戻り、それを飲んだ。一粒目を飲んでから二粒目を開封したら色が違っていることに気づいた。古くて変質していたんだと思う。

すぐに吐き出せばよかったものを、そのままにしていたら、みるみる高熱が出はじめた。これはヤバイと思って日本から持参した熱冷ましの頓服薬、二人分の量を一度に服用した。すると熱が一気に下がりはじめ、つぎは悪寒と共に激しい腹痛が起こってひどい下痢をした。その下痢が止まらず。宿のまえの砂浜に寝そべり、便意をもよおすたびに海に浸かって用を足した。

その夜、わたしは砂浜に寝たままで一晩を明かした。あれはキツかった。フィジカルなダメージも相当なものだったが、精神的にも極度のホームシックになり「ここにいたくない日本に帰りたい」と痛切に思った。それでもなんとか生き延びて、数日後にはパドルアウトできるまで回復することができた。人間って極限に追い込まれると非常スイッチが入ってタフになるんだなとそのときに思った。ニアスの帰りはスマトラ半島をバスで横断し、パダンからシンガポールまで飛行機で飛んだ。そのチャンギ空港では、気持ちがゆるんだのか胃炎に襲われた。治療を受けた空港の診療室が、清潔感であふれていたことを今でも思い出す。

これがわたしの『最高と最悪』の一人旅。ストーリーを読むと悲惨な旅のように感じるかもしれない。しかしながら、ニアスでもヒナコでも良い波にはたくさん乗れて、サーフトリップで一番の目的は達成でき、そこは『超最高』だった。スティーブという男と出会い、その後のサーフトリップにも繋がったことを考えればそれも『超最高』。人生で『最悪』のサーフィンの怪我と病気だったが、冷静に分析すれば、わたしの無知と経験不足が原因だったと結論できる。怪我を回避したりダメージを低く抑えることは十分に可能だった。

いまでも思い出すのは、ニアス島を出港し午後遅くバワへ到着したときに目撃した荘厳な光景だ。傾きかけた太陽の光に晒される無人のパーフェクトウェイブと波の崩れる轟音。大きく揺れる木造船、「夕飯まえの腹ごなしだ」と叫ぶリーダーのムース。われ先にと飛び込んでいくサーファーたち。「自分に追いつく」と書いた小説家開高健の言葉をわたしはそのとき理解した。ソロトリップ特有の振り幅が大きい旅だった。

あとがき

ソロトリップを考えているサーファーへ

サーフトリップ中の事故は、旅の最初に起きることがよくある。旅の一発目の波で、肩を脱臼した人をわたしは目撃したことがある。ビーチブレイクだからと、舐めてかかって背骨を折ったサーファーもいた。『明日もサーフするつもりで、今日をサーフする』というジェリー・ロペスの言葉をサーフィンのときにはいつも心に刻んでおこう。

文・写真:李リョウ

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