「毎日が冒険」そんな人生に憧れたことはなかっただろうか?ドクはそれをやった。 写真:パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com

ドリアン・パスコウィッツ家の大冒険

シリーズ「サーフィン新世紀」21

サーフヒーロー列伝 その1
医学博士、米国最長寿のサーフスクール、愛の狩人、大家族、そしてバンライフの元祖


70年代の米サーファー誌には、巻末に小さな広告が載っていて、それがなかなかおもしろかった。笑っちゃうようなアイデア商品の紹介から、新作サーフ映画の上映予告、老舗サーフボードブランドも渋く出稿していて、ドナルド・タカヤマやウェイン・リンチ、ブレイクする前のアルメリック、さらにサーフショーツではバードウェルなんかも常連だった。そんな広告の一つに、あるサーフィンスクールの広告が毎号のように載っていて、アメリカにはサーフィンを教えてくれる学校があるのかと当時は思ったものだった。

そのサーフィンスクールの主宰者がドリアン・パスコウイッツというサーファーで、スタンフォードを卒業した医学博士でありながら、キャンピングカーに住んでいるということを、ずっと後になって知った。そのドク(彼の愛称)の半生が、あるブログに紹介されたのを読み筆者は非常に驚いた。

彼の人生を簡単にまとめれば、バンライフの元祖にして全米で最もロングランのサーフスクールを設立(現在も継続中)した人物。さらに彼は無類の女好きで、セックスを探求しキャンピングカーで暮らしながら9人の子宝に恵まれて育て上げた。そしてなにより彼はサーフィンを愛し続け、サーファーとしての人生を全うした。こんな男ちょっといない。

破天荒に見えてもドリアン・パスコウイッツの人生プランは周到だった。大家族を持ち子供達に多くの経験を積ませる。しかも自分の人生は犠牲にしない。写真パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com

「人生でサーフィンとおなじくらい楽しいのはセックスだろう」とドク「サーフィンと同じくらい打ち込む価値があると言っていいね」

ドリアン・パスコウィッツは、1921年にテキサスのガルベストンで生まれた。両親はロシア系のユダヤ人で、ドリアンが子供の頃にサンディゴへ移った。それがきっかけで彼はサーフィンと出会い、またサンオノフレのボヘミアンなビーチカルチャーの洗礼を浴びることになった。

青年になったドリアンはスタンフォード大学に入学し医学の博士号を取得。サーフィンと医者の道を両立すべくハワイへと移る。当時30代だったドリアンは、ハンサムでたくましく優秀なサーファーだった。一度結婚に失敗し二人目の妻とそこで出会った。しかし彼は仕事のストレスと疲れから不眠症に陥り、精神的なダメージを負ってしまう。

悩んだ末に彼が出した結論は、全てを捨て、自分に正直に人生をやり直すことだった。仕事を辞め、荷物とサーフボードを車に積み彼は旅へ出た。目指すものは、女とセックスと、波と冒険だった。

ドリアン・パスコウイッツ 撮影者不明。www.paskowitz.com

ドリアンはセックスに対していつもオープンだった。2度目の結婚に失敗してから、彼は可能な限り女性と夜を共にしようと励んだ。医学博士の彼はそれを「実験」と呼び、それぞれのセックスを100点満点で評価した。

飽くことなく続いた実験の末に(原文では100人と書いてある)、彼はついにジュリエットという女性と出会った。彼女は93点というハイスコアを達成し、ドリアンの実験は終わりを告げた。ジュリエットはロングビーチ生まれで、両親はメキシコ人、彼女もドリアンに一目惚れだったようで、彼が逃げないように縛りつけようと思ったくらいだったと後述している。彼らの最初の住処はドリアンの車、メキシコで結婚した彼らはほどなくして長男デビッドを授かり、パスコウイッツ家の大冒険が本格的に始まった。

パスコウイッツと妻ジュリエット 写真パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com

それからの数十年にわたる旅で彼が得たものは、3人目の妻と9人の子供、イスラエルへサーフィンを伝え、医者として健康的な食生活の啓蒙活動、世界で最も長寿のサーフスクールwww.paskowitz.comの設立、そして今やインスタグラムでも話題になっているバンライフの先駆者となった。彼は子供が生まれてもサーファー&キャンパーというライフスタイルを続けて、9人の子供をキャンピングカーで育てたのである。

「海はわたしの一番の遊び場だった」とドリアン「海はわたしの情熱そのものだった」

しかし小さなキャンピングカーで大家族を養い、生活の優先順位はサーフィンが一番、というライフスタイルは相当な軋轢(あつれき)が生じ、平穏なファミリードラマのようには行かなかったという。

遊牧民のような11人家族の暮らしはさまざまなトラブルを招いた。彼らにはホームタウンと呼べるところは無く、教育はそのキャンパー内で行われた。「私は読書が好きなんです」と8人目の子供で唯一の女性のナバは言った。「でも学校に行く機会は与えらえませんでした。父がよく言ったことは経験こそが役に立つんだ、本には書いてない。月並な教育を受けずに得た経験こそが我々を成功に導くんだ。と言っていました」

バンライフが注目される21世紀。パスコウィッツ家のライフスタイルは常識にとらわれない新しい生き方の先駆者となった。写真パスコウィッツファミリー www.paskowitz.com

両親に安定した収入が無かったこともあって、子供たちは生活日常品や、かたときの贅沢さえも味わうことができなかった。「食料を買う金が無いときもありました」とモーゼスは言う「しかし父ドリアンは、チャレンジが訪れたと言ってエキサイトしたんです」

家族の行く末をドリアンの友人も危惧していた。その一人ジム・ケンプトンがドリアンにこう忠告した。「いいかいドリアン。サーフバム(放浪者)で生きていくのは問題ないよ。9人の子供を持つことだって問題ない。でもその両方を持つのは問題だよ」

ドリアン・パスコウィッツと子供たち、どこへ行くにも家族一緒で全米を旅した。写真パスコウィッツファミリー www.paskowitz.com

「女性らしい服は14才まで着たことがありませんでした」とナバ。「いつも父が独断で決めていましたから、父がどうしたいかがいつも重要で、子供や母親にとってなにが最善かは二の次でした」

「母と父はキャンパーの上段で寝ました」とモーゼスは24フィートのキャンピングカーで寝るときの説明をした。「ナバは彼らの足元で寝ました。下段のテーブルをベッドにして、そこでデビッドとジョナサンが寝て、フロントシートに二人、その他は床で寝たんです」

1979年3月号のサーファー誌に掲載されたインターナショナル・サーフィンスクールの広告。パイプライナーの脇田貴之氏もこの学校の卒業生である。www.paskowitz.com

もちろん夫婦の夜の営みも毎晩のように続けられた。やがて子供達が成長し、その狭い空間で住むことはかなり困難な状況となった。「十代となった僕らにとって、その環境はきつかった」とエイブラハム。「デビッドが16才、ジョナサンが14才、僕が13才、イスラエルは12才、争い事は絶えなかった。ドクは喧嘩に仲裁しないでその序列を兄弟で決めさせた。やがて僕たちは反抗期となりこのキャンパーから出たいと願うようになった。ドクにも僕たちを抑えきれなくなり、彼の理想は崩れ始めた」結局、数人の子供がキャンパーから離れることになったが、しかしキャンパーの生活を後悔するものは誰一人としていないという。

「家族から離れてから」と8人目の子供エイブラハムは言った。「普通の生活に慣れることが大変でした。義務教育を受けていないし、現実の社会には無防備だったのです。私たちはまさしく「世間知らず」で日々の生活費をどうやって工面していいのかさえも分かりませんでした。家賃の払い方や近所つき合い、子供の育て方さえも混乱しました。ですから普通の生活に適合するのに40年以上も掛かったのです」

「月並な教育を受けずに得た経験こそが我々を成功に導く」ドリアン・パスコウィッツ。写真パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com

「兄弟で犯罪を犯したものは一人もいないし、ヘロイン中毒者もいない、みんな経済的にも十分に自立することができた。父親が子供達に与えたかった人生をサバイバルする方法を、彼が考えたとおりに私たちは実現したんです。パスコウィッツ家は世界中どこでも生きていける。まるでカメレオンのようにどんな環境でも適合することができるんです」とデイビッド。

「犯罪を犯したものは一人もいないし、ヘロイン中毒者もいない、みんな経済的にも十分に自立することができた」
写真パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com

かつてドリアンに忠告したジム・ケンプトンも、その子供たちのたくましく成長した姿を見て考えを改めた。「彼ら全員がそれぞれの道を歩んで成功している。彼らはどのような目標も達成することができるだろう」

そして、2014年11月、ドリアン・パスコウィッツは家族に見守られてこの世を去った。享年93才。子供達の何人かは、ドクの築いたバンライフを現在も継承している。アブラハムは、毎週金曜日になるとサンオノフレの駐車場にスプリンターバンを停め、サーフセッションの合間はそこでくつろぐ。6人目の子供、アダムは父親の生き方を完全に受け継ぎ、バンライフを実践している。「僕は子供のころの暮らしが大好きだった。だから妻のトレーシーと、自分の子供にも同じ経験をさせたいと思っている。あの体験は人生のレッスンとしてすばらしかったからです」

「すごい医者になんか成るつもりはない、金持ちも名声も興味はない。私は良き夫、良き父親になりたかった。それが「本当の男」ってものだからさ」ドリアン・パスコウイッツ 写真パスコウィッツファミリー。www.paskowitz.com
パスコウィッツファミリーの映像

この記事は以下の資料を基に構成いたしました。
Born o the Roard: Doc Paskowits and the Rise of Surfing #VanLife by Dashel Poerson
Encyclopedia of Surfing by Matt Warsaw
Paskowitz Surf Camp ; https://www.paskowitz.com

(李リョウ)

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