ジェイコブスサーフボード創設者、ハップ・ジェイコブス逝く

カリフォルニアのサーフィン界の良き時代を生きぬいたジェントルマン


「デール・ベルジーとわたしはおなじくらいの注文を抱えていたから、共同で仕事をすれば、どちらかが店にいて、もう一人がサーフィンに行くことができると思ったんだよ。でも上手くはいかなかったな。二人ともサーフィンに行ってしまったんだ。」
ーハップ・ジェイコブス談

ショートボード革命以前のカリフォルニアには、ゴールデンエイジと呼ばれる世代がある。そのサーファーたちは、バルサを材木商から仕入れて、浜辺やガレージでサーフボードをシェープするというボヘミアンなサーフィンライフを過ごした。その当時、カリフォルニアのサーフィンの中心はハモサビーチなどがあるサウスベイ周辺であった。やがて小説『ギジェット』や音楽業界が仕掛けたユニット『ビーチボーイズ』によってサーフィンの大ブームが起こる。サーフボードは、ブームの需要に対応するかのようにバルサからポリウレタン製へとトランジションがタイミングよく起こり、その活況と共にカリフォルニアのサーフボード業界が成長していった。その古き良き時代を生きたサーファーたちがゴールデンエイジだ。

Hap Jacobs eos.surf

ゴールデンエイジの中心人物の一人が、ジェイコブスサーフボードのファウンダーでもあるハップ・ジェイコブスだ。あの名匠ドナルド・タカヤマが13才のときに単身でハワイからカリフォルニアへ渡りジェイコブスサーフボードで働いたというから、ハップ・ジェイコブスがカリフォルニアのサーフィン界でどのような「序列」というかポジションにいたか、サーフカルチャーに興味にある人ならばイメージがつくだろう。その重鎮、ダドリー・ジョージ・ジェイコブス(本名)が2021年12月18日にこの世を去った。享年91才。死因は明らかにされていないが、老衰により天寿を全うしたのだと思われる。

有名なひし形のディケールはカリフォルニアサフカルチャーの象徴と言っても過言では無い。ジェイコブスはこのマークの看板を店先に立て、のちにサウスベイのランドマークとなった

「“ニューシェイプ”というボードを作ったんだ。と言ってもどこも新しくはない。母親が子供にせがまれてやってきたときに、最新のニューシェイプというと納得するんだ。注文に時間が掛かるのはなぜだ、と聞かれたときは海で十分にテストをするからだ”と言うとたいていは信じたね。説明はランス・カーソンやロバート・オーガストが上手だった。」
ーハップ・ジェイコブス談

さて、ハップ・ジェイコブスはサーフボードビルディングのマエストロとして知られているが、彼は卓越した技術やビジネスセンスだけでサーフィン界を生き抜いただけでなく、ジェントルマンというべき人柄やふる舞いでも知られていた。レジェンドでありながらつねに控えめな態度で、人と分け隔てなく接していたと訃報記事の多くに書かれている。

デール・ベルジー(右)と旧交を温めるジェイコブス(左)共同経営はたった4年で破綻したが友情が壊れることはなかったという easyreadernews.com

例えばデール・ベルジーと共同でサーフボードブランドを立ち上げたときも、(『ベルジー&ジェイコブス』というブランド名で現在では貴重なコレクターアイテムでもある)性格の不一致によりたった4年ほどで二人はチームを解散し別々の道を歩むことになるが、そのときにも世間でよく聞かれるようなトラブルは起きていない。あるインタビューでジェイコブスはベルジーと仕事をして一度も口論にはならかったと話している。また彼がジェイコブスサーフボードを立ち上げたときも、さまざまなエリアから著名なサーファーが彼と仕事をしたいと集まった。その中にはランス・カーソンやロバート・オーガスト、マイク・ドイルなどがいてジェイコブスの人望の厚さを物語っている。ちなみに「ハップ」というのは彼のニックネームで「ハッピー」が由来だ。故人の冥福を心よりお祈り申し上げたい。

ハップ・ジェイコブス略歴

(出典:サーフィン百科事典他)

ハップ・ジェイコブスはハモサビーチのサーフボード製造業者で、ジェイコブスサーフボードの創立者でもある。ジェイコブスは1930年でロサンジェルスの配管工の家庭に生まれる。1938年に家族はハモサビーチへと移る。ジェイコブスがサーフィンを始めたのは16才のとき。シェーピングを始めたのはハワイでコーストガードとして任務を終えた1953年からだった。それからまもなくしてデイブ・モーガンとDive N Surfという店を共同で始め、それから著名なボードメーカーであるデール・ベルジーと『ベルジージェイコブスサーフボード』を立ち上げる。しかし4年後に二人は解散し、ジェイコブスは自分自身のレーベルを立ち上げ工場と小売店をハモサビーチにて始めた。

188cm 72kgという痩身で落ち着いた語り口のジェイコブスは、サーフィン界では洗練されたクラフトマンという評価を高めていた。彼のビジネスも立ち上げから軌道に乗った。5年後には週125本のサーフボードを量産するようになり、彼と6人のフルタイムシェーパーとの共同作業は多忙を極めた。この数を上回るファクトリーは、ホビーとウェイバー、グレッグノールサーフボードだけであった。

またジェイコブスサーフボードのショールームは、高い天井の申し分のないデザインで、サーフィン専門誌の編集長スティーブ・ペズマンにして「ノートルダムの大聖堂」と表現させたほどだった。ジェイコブスはホットなサーフチームも創設しそのメンバーにはハワイ出身のドナルド・タカヤマ、ノーズライディングのエース、ランス・カーソン、タンデムチャンピオン、リンダ・メリル、映画『エンドレスサマー』の主役ロバート・オーガスト、マリブのミッキー・ドラ、1964年の世界選手権で2位になったマイク・ドイル、2度の全米チャンピオン、デビッド・ヌヒワがいた。

ショートボード革命後1971年にはサーフボードビジネスを閉業し漁業へと転身した。(小売店は1981年に閉じた)しかし、90年初頭にジェイコブスのレーベルでサーフボードシェーパーへの復帰を果たしている。
2002年にインターナショナル・サーフボードビルダーズ・ホールオブフェイムに選出されている。彼には二人の息子、ディーンとケントがいる。

Hap Jacobs photo by Mike McIntire

出典:
EOS.SURF
easyreadernews.com
surfingcowboys.com
liquidsaltmag.com
dailybreeze.com

(李リョウ)

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