若かりし頃のジョー・クイッグ。世界中に溢れるシングルフィン&ピンテールは、彼のサーフボードがスターティングポイントとなっている。www.shacc.org

サーフボードデザインの巨星、ジョー・クイッグ逝く

モダンサーフボードの原点を知る

サーフィンの歴史は、サーフボードデザインの変遷でもある。現在、わたしたちサーファーがなにげなく手にしているサーフボードは、先達のクラフトマンたちが生み出したアイデアの集積だ。彼らによって、サーフボードは長い時間をかけてアップデートされていった。機能しないものは削除し有用なデザインは保存されて、サーファーからサーファーへと伝わり、やがて新しいパフォーマンスが生まれて限界のドアを打ち破った。新しいエラ(世代)の誕生である。ディープなバレルや、スピーディーなカービングそして見上げるほど高いエアーも、脈々と受け継がれたサーフボードデザインが存在するからこそ可能となっていることをわれわれは忘れてはならない。

世界で初めて作られたプラスチックフォームとグラスファイバー製のサーフボードをローンチするジョー・クイッグ

さて、モダンサーフボードにおけるデザインヒストリーの時間軸を巻き戻し、その系譜をたどっていくとデザインの原点ともいえる2人のサーフボードビルダーへとたどり着く。ボブ・シモンズとジョー・クイッグだ。シモンズはハイドロプレーニングに着目し、弾丸のようなスピードをサーフボードから捻出することに成功し、ジョー・クイッグは軽量化とファンクショナルなデザインの統合化において大きな役割を果たした。さらにクイッグはピンテールを考案し、ハワイのビッグウェーブに対応するサーフボードを開発したパイオニアビルダーの1人でもある。21世紀になった現在もサーフボードのあらゆるところに、この2人のデザインが息づいている。世界で初めてグラスファイバーと化学合成によるフォームでサーフボードを製作したのも、彼らとその仲間だ。

シモンズは不慮の事故により若くしてこの世を去ったが、ジョー・クイッグは今月(2021年6月)に、天寿を全うした。今回のコラムでは、改めてジョー・クイッグの足跡を紹介し、故人の冥福を祈りたい。


ジョー・クイッグ(1925~2021)

ジョー・クイッグはサーフボードデザインとそのクラフトマンシップにおいて巨匠と目される人物である。20世紀の、サーフボードデザインのモダン化に大きな貢献をし、多くのサーフボードビルダーに影響を与えた。

「彼は、サーフボードの機能をサーフボードへ完璧に統合した最初の人物で、すでに40年以上が経った現在において、どのサーフボードにもクイッグが開発したデザインの影響を見ることができる」とサーフィン歴史家のゲーリー・リンチは1994年に書き記している。

クイッグは1925年ロサンゼルス生まれ、幼少期をサンタモニカで過ごした。サーフィンは4才で始めそのときすでに自作のベリーボードを使用していた。

クイッグはそのサーフスタイルにおいてもパイオニアだった。

13才のときにレッドウッド製のサーフボードを作り、ノーズとテールに工夫を加えた(のちにそれはロッカーと呼ばれるデザインとなる)。そのサーフボードはマニューバビリティーに優れ波のタイトなポジションを維持してサーフすることができた。当時は、サーフボードといえばソリッドな木製か、中空のパドルボード兼サーフボードが一般的だったが、どれもが船首から船尾までほぼストレートに近かった。

のちにクイッグ自身も、彼が考案したロッカーというアイデアがサーフボードデザインに大きな貢献をしたことを認めているものの、彼の完全なオリジナルでないとも言及している。

海軍で4年間の兵役に就いたあと、クイッグはサンタモニカへ1947年に戻る。サーフィンのためにサーフボードを購入したが思うように機能せず、そこで彼は自分でサーフボードを作り始めた。

やがて彼は、マリブでサーフボードをテストしていたサーファー兼デザイナーの集団に加わるようになる。そこにはボブ・シモンズやマット・キブリンなどがいた。

彼が最初に作ったサーフボードは、当時の一般的なデザインにサイズを合わせたために幅があり重く、ずんぐりしていて必要以上の浮力があった。それでも彼のサーフボードは加速性に優れていたために評判を呼んだ。

1947年、クイッグはサーフィンを初めたダリリン・ザヌークのためにバルサとレッドウッドのサーフボードを製作する。ちなみにダリリンはハリウッドの大物プロデューサー、ダリル・ザヌークの娘だった。そのボードは25ポンド(約11kg)だったが当時としては薄く軽量で「ダリリンボード」と呼ばれるようになりマリブのサーファーからサーファーへと次々に伝えられ、そののちに流行となるマリブ・チップ・ボードのプロトタイプとなった。

マリブから新たなテストコース、リンコンでサーフボードをテストするシモンズとクイッグ。彼らは、相反する理論を唱え、開発者としてライバル関係にあった

同年、彼はもう1人の巨匠ボブ・シモンズとともに、数年後にはスタンダードとなっていくポリウレタン製のフォームのサーフボードやファイバーグラス製フィンそして細長くカーブした形状のフィンなどを開発した。

1948年になると、クイッグはリンコンの波のスピードに対応できるサーフボードの開発に着手する。ボードを縦に割って23インチの幅を21インチにし、世界で初めてボードにピンテールを取り入れた。それにより高速でも安定性を得られるようになった。このクイッグが発明したピンテールはビッグウェーブ用のサーフボードに多大な影響を与える。クイッグは、マリブでトップサーファーだったトム・ザーンや、50年代中期にビッグウェーブのパイオニアだったバジー・トレントにサーフボードを作るようになる。トレントが12フィートのビッグウェーブ用ボードをクイッグに注文したとき、それをトレントは「エレファントガン(象打ち銃)」と呼んだことが『ガン』という名称のきっかけとなった。

グイッグはサーフボードを販売する店をサンタモニカに1950年に開く。それからオアフ島へ移住し、ホノルルにも1953年に開店する。同時期に彼はロサンジェルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに入学し写真を専攻している。卒業まであと1学期を残したところでカレッジを辞めてしまうが、当時彼が撮影した40〜50年代のサーフフォトは貴重な作品となっている。

クイッグが開発したビッグウェーブ用ボードを持つバジー・トレント。「ガン」と呼ばれる由来となった
Joe Quigg collection

クイッグはカリフォルニアのニューポートビーチに1959年から1969年まで住んだ。その後ハワイに戻り1987年に引退するまで、ボートやカヌーそしてパドルボードを製作した。彼はサーフボード製作の細部にこだわり、かつ時間を掛けるビルダーとして知られていた。生涯で約4000のサーフボードを作ったが、他の長寿なシェーパーが数万本に達していることを考えれば、その希少性が理解できる。

彼は寛容な性格ではあったが、プライベートな時間は大切にするように務めた。「彼は自己宣伝をしない男なんだ」とカリフォルニアのレジェンド、ミッキー・ムニョスは語った。「彼は店の窓を黒く塗り、日除けを張って隠した。彼が店の電話機を壁に叩きつけたこともあった。数年のあいだ電話はそのままだった。新しい電話を買うこともなかった」

Joe Quigg photo by LeRoy Grannis http://www.isbhof.com

1950年、クイッグはアジー・バーンと結婚。アジーはマリブでたいへん優れた女性サーファーの1人であった。彼らは結婚し、クイッグがこの世を去るまで共に生涯を全うした。1991年クイッグはインターナショナル・サーフィン・ホールオブフェイムに選ばれる。2021年6月逝去、あと数日で96才の誕生日を迎えるところだったとサーフ系メディアは伝えている。

Joe Quigg archiv-e.com

資料:サーフィン百科事典

(李リョウ)

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