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「ケリー・スレーターという人はマニアックな努力家」生誕50周年記念コラム – F+

本日2月11日は、ケリー・スレーターの50回目の誕生日。

1972年、フロリダのココアビーチで生まれたロバート・ケリー・スレーターは、1991年に19歳でCTクオリファイを果たして以来11度のワールドタイトルを獲得。その内、ワールドチャンピオンの最年少記録(20歳)と最年長記録(39歳)を持ち、56度のイベント優勝という偉大な記録をいくつも持っている。

現在CTに参加する選手達の年齢は、最年少が21歳(サミュエル・プーポとジョアオ・チアンカ)、ケリーを除く最年長は33歳(ジョーディ・スミス)。自分の子供のような年の選手を相手に現役で戦い、先日の開幕戦『Billabong Pro Pipeline』では、2016年のタヒチ戦以来6年ぶりの優勝を決めた。

そんなサーフィン界の偉人、ケリー・スレーターの軌跡を、長年CT最前線を現場で追いかけて来たF+つのだゆき編集長が振り返ります。

*ケリー生誕50周年とこれまでの功績に敬意を表し、波情報BCMの会員特典「BCM x F+ 2022年カレンダー」のスペシャルコラム企画を、THE SURF NEWSでも特別公開します。

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F+(エフプラス)

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もうね、通の方はこの写真をひとめ見れば、あぁ、あの時のあのケリー、ってわかっちゃうわけですね。時は2005年、場所は南アフリカのJベイ。アンディ・アイアンズとのファイナルを逆転で優勝した年。このサイモン・アンダーソンの板もはっきり記憶に残っているだろうと思う。右手のひっくり返り方さえケリー節という、オタク心をそそる1枚だ。

もう1枚カレンダー掲載候補の写真があって、同じ時のJベイなんだけど、晴れててきれいな写真。まぁ、普通のカレンダー制作人なら間違いなくそっちなんだけど、F+普通じゃないんで(笑)。

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サイモン・アンダーソンのロゴといい、ハンドアクションといい、顔の表情といい、これぞケリー節なんだと思う。
カップの写真は1995年のもの。まだ初々しい感じで、ニュースクール旋風の中心だったころだ。

チャンピオンといえばやはりケリーってなっちゃうぐらい、11度もワールドチャンピオンに輝いているケリーだけど、私が最も印象に残っているのはこの2005年の7度目のタイトル。誰もが待ちに待っていた第2次ケリー黄金期のスタートの年だ。

ケリーは1991年のトップ44時代、高校卒業後に回った後半のツアーだけの成績で43位で滑り込みクオリファイ。1992年のデビューイヤーでいきなり初タイトルを取る。翌1993年は休憩というか、ちょっと順位を落として6位、タイトルはハワイのデレク・ホーが取る。しかしその翌年の1994年から1998年まで5年連続でタイトルを取り続け、5年連続6度のタイトルで過去の記録を更新すると、翌1999年からセミリタイアという無期限のオフに入る。

99年はツアーにはほとんど顔を見せなかったが、F+の前身であるflowでゲストエディターを務めてくれたり、サーフトリップを楽しんだり、それまで時間がなくてこなせなかったことを楽しんでいたように見えた。

そこから数年はワイルドカードで数試合出場とかそういう感じで、年に1勝という記録の維持的な、そういう活躍だったが、アンディ・アイアンズが出てきて活躍を始めると、それに刺激されるとともに、周囲の要望や説得もあって、2002年ぐらいから本格的に復帰することになる。しかし、復帰してフルで回り始めても思うように結果はついてこなかった。ケリー・スレーターは確かにツアーにいるけど、実態としてそこにいない、という印象だったのを強く記憶している。
2002年から2004年あたりはケリーにとっての努力の年というか、ネクストレベルの自分への痛みを伴う改革の時間だった。

満を持してタイトル争いに絡んだ2003年、アンディとの一騎打ちに敗れると、周囲からは引退のささやきが聞こえた。しかし、このどん底からの立ち上がりが彼をネクストレベルに引き上げる。ケリーがいなくてもアンディ・アイアンズは同じようにいたと思うけど、アンディがいなければケリーの第2次黄金期はなかったと思う。アンディを倒して雪辱を果たす。これが大きなモチベーションとなって、ケリーによる第2のサーフィンの革命がなされる。

翌2004年もタイトルはアンディにわたり、アンディは3連覇を成し遂げるが、しかしその間、ケリーがしていたのは本当の意味でのブレイクスルーにむけてのチャージだった。例えば練習の時、え、そこに当てるの? とかそのラインは無茶でしょ、みたいなことばかりやっていた。表面的にみる人は、ケリーは勝てないからヤケになってるとか、わざとワイプアウトばかりしているとか噂したが、私は写真を撮っていて、何でこんなことするんだろう、普通にやればいいのに、と思うと同時に、いやいや、いつかこの人がこれをメイクできるようになったら、今のサーフィンの常識が変わる、と感じていた。

才能のある者はその才能に見合う努力をしなければ、その才能に見合う結果は残せない。まさにそれは凡人の想像を超えるサーフィンを目指しての、才能ある者の努力だった。そして2005年、ついにネクストレベルのケリーが誕生したのだ。それを強烈に印象付けたのがその年のJベイだった。

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今でもはっきり覚えているけど、あの試合ではケリーのヒートになると選手たちがみんな集まってきて観戦していた。みんなケリーの新しいサーフィンが見たかったのだ。それは本当に今までのサーフィンの枠を超えるもので、見ていて笑ってしまうようなすごさだった。スピード、当てている場所、今までには考えられなかったセクションへのアプローチ……それはケリーたちニュースクールと呼ばれたモーメンタム世代が、テールスライドやエアー、スナップなどの新しいサーフィンをツアーに持ち込んだ時と同じような大革新で、それをその後進化させたのがティム・カランやカラニ・ロブ、アンディ・アイアンズといったプリスクール世代。それが当時の主流だったのだが、そのひとつもふたつも先を行くのが33歳になったベテラン、ケリー・スレーターの新しいサーフィンだった。

BYE BYE PRE-SCHOOL SURFING
WELCOME TO THE FUTURE
A WHOLE NEW STANDARD 7XKS

と当時のflowのタイトルに書かれているが、まさに新しいスタンダードだった。
これで7度目のタイトルを決めると、翌年も連覇、その後は新星ミック・ファニングと交代でタイトルを取るような流れだ。
できないことをできるようにするには、できなくても何度もあきらめずにトライしなくてはできるようにはならない。失敗は成功の基だ。
私はケリー・スレーターという人は、天才ではなくマニアックな努力家だといつも思う。

F+編集長つのだゆき

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