「80年代湘南のサーフスケートカルチャーを振り返る」- F+

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ツアーのほうは前半の最終戦になるマーガレットリバーのピリオドがスタートしていて、これでミッドシーズンカットで切られちゃう人が決まるわけですね。
なんか、何度考えてもこれはないよなぁ、と思う。せっかくクオリファイしたのにパイプからここまででおしまいな人が10人ぐらいいるってどうなんだろ。
しかもマーガって、マーガレットリバーのメインブレイクとボックスじゃまるで話が違ってくるだろうし、午前中のクリーンな状況と午後のオンショアガタガタでも話は変わってくるだろうし、まぁ、究極のオールラウンダーであれ、という指令なんだろうけど、なんだかどうにも呑み込めない。

80年代の湘南というのは本当にサーフ、スケート文化の最先端だったと思う。
もともとの湘南エリアというのはお金持ちの別荘地で、鵠沼松が岡あたりだと昔は松林付きの1000坪単位で売りに出されていたような場所。鎌倉や茅ケ崎は古くから文化人も多くて、そのご子息筋のお嬢様お坊ちゃまが奏でる湘南文化のど真ん中にサーフィンがあったんだと思う。あ、ヨット遊びとかの下ではありますが(笑)。
それは1ドル360円時代のアメリカ文化を湘南にもたらす。まだ普通の人は海外旅行なんて高嶺の花だった時代。アーリーアメリカンな感じのバーとか、海に向いたテラスでディナーとか、ウォーターフロントなんて言葉が出てくるだいぶ前から、湘南には日本人離れした感性で遊ぶ若者がいたわけだ。まぁ、太陽族ほどは古くなくても、その後輩たちね。
スポーティフとかが全国区に名乗り出た初期の湘南ブランドといえるんじゃないかと思う。自分たちの感性に合った着たい服がないので、自分で作る、みたいなことから始まっていて、その流れはSHADESとか、このベティーズとかに引き継がれていく。

その頃湘南あたりにいたサーファーは、東京から通い、あるいは移住組半分、湘南地元半分みたいな感じで、慶応ボーイ的な人々もいたし、とにかくみんなセンスが良かったというか、遊びやファッションに敏感だった。サーフィンして東京に夜遊びしに行って、あるいは東京で朝まで遊んでのそのままサーフィンしに行くみたいな、東京と湘南というのは第三京浜でがっちりつながっていた。サーファーのファッションやライフスタイルは、お金持ち方面ではアメリカ西海岸と湘南を、そして普通の人の方面では湘南と東京を頻繁に行き来していた。そしてそれが全国的なブームになっていった。
ブームというのは何か手に入らないモノに憧れるエネルギーの集積だと思う。そういうエネルギーが強ければ強いほど、大きなブームが生まれる。

もちろん今でも人は東京と湘南を行き来するけど、そこにアメリカ文化への憧れとか、ファッションとか、ライフスタイルとか、そういうことが絡んでる感はない。21世紀になって、80年代とは比較にならないほど外国がとても身近になっていることが原因かなと思う。誰もがアメリカに行ったことがあるような時代だし、なんでも手に入る時代だ。そこにブームは生まれにくい。西海岸って、あんなのかな、こんなのかなという妄想と憧れでは終われない時代になった。

手に入らないから憧れであり、手に入っちゃったらどうでもいいって、なんか、釣った魚に餌やらない的な恋愛論に近いものがあるけど、今の時代、大きなブームを求めるって、難しいのかもしれない……なんてことを過去を懐かしみながら考える今日このごろ。

F+編集長つのだゆき

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