Reference : Surfer Magazine 20世紀を代表するサーファーとしてサーファー誌の表紙を飾ったデューク

デューク・カハナモクはサーファーで金メダリスト

シリーズ「サーフィン新世紀」⑨

「サーフィンを世界中の人々に伝え、その喜びを共に分かち合いたい」デューク・カハナモク

8月24日は故デューク・カハナモクの128回目の誕生日でした。SNS上でも彼へさまざまな人々から多くのお祝いメッセージが寄せられています。

さて、ワイキキにある彼の立像はあまりにも有名ですがその功績を知らない人は意外と多いようです。古代ハワイ王朝のカメハメハ大王と混同している人も多く、一般サーファーでさえも『近代サーフィンの父』と呼ばれているくらいの認識しかありません。ということでデューク・カハナモクの出自からその功績を分かりやすく簡単にまとめさせていただきました。

サーフィンが公式種目となった東京オリンピックも近づいていますからサーファーならばここはしっかり勉強しましょう。『オリンピックでサーフィン』はデュークの夢でもあったのですから。


Reference : Encyclopedia of Surfing. Photo by Tom Blake
トム・ブレイクが撮影した貴重な写真

デューク・パオア・カハナモクの略歴

1890年、ワイキキのダウンタウンに生まれる。父デューク、母ジュリアは純血のハワイアン。

1911年、初めて出場した水泳大会で世界新記録を樹立(フリー)。

1912年、オリンピック・ストックホルム大会の水泳100mフリーに出場し金メダルと世界新記録を樹立。200mリレー(フリー)では銀メダルを達成。

Gold medalist Duke Kahanamoku. Reference : Encyclopedia of Surfing.
デュークは初めて出場した水泳大会で世界記録を樹立した

1912年、アメリカ本土の大西洋側でサーフィンの普及のためにデモンストレーションを行う。

1914年-1915年、オーストラリアとニュージランドでサーフィンの普及のためにデモンストレーションを行う(オーストラリアがサーフィン大国となる礎を築いた)。

1915年-30年代初期、南カリフォルニアでサーフィンの普及に力を注いだ。サーフボードのフィンを発明したことで知られるトム・ブレークはデュークとこの時期に出会いサーフィンを初めて体験する。

A statue of Duke Kahanamoku at Freshwater Sydney AUS
デュークはオーストラリアでサーフボードを自らシェープしデモを行った。シドニーフレッシュウォーターにある彼の立像。この公園はデューク・カハナモク記念公園と呼ばれている

1920年、オリンピック・アントワープ大会の水泳100mフリー、200mリレーに出場し金メダルを達成。

1920年、サーフィンをオリンピックの正式種目とするための活動を行う。

1924年、オリンピック・パリ大会の100mフリーに出場し銀メダルを達成。金メダルは後に初代ターザンとしてハリウッドの大スターになるジョニー・ワイズミュラー。ジョニーはデュークから泳法を学んでメダリストとなったいわばデュークの弟子であった。

1922年-1930年、ハリウッドに移り俳優として映画30本に出演。

Reference : Memories of Duke ハワイを訪れたベーブ・ルースを出迎えるデューク

1925年、カリフォルニアのニューポートビーチで難破船から8人を救出。

1929年、ワイキキにてビッグウェーブに乗り一本で1.8kmの距離を樹立。

1964年、東京オリンピックにスペシャルゲストとして招かれる。

1965年、デューク・カハナモク・インビテーショナルをサンセットビーチで開催。

1968年、心臓発作が原因でホノルルにて死去。享年77歳。

1969年、ハンティントンビーチにデュークの胸像が建立。

1990年、ワイキキのクヒオビーチにデュークの立像が建立。

1994年、シドニー、フレッシュウォータービーチにデュークの銅像が建立。

2002年、デューク・カハナモクの記念切手が発行される。

2014年、ナショナル・ポートレート・ギャラリーによる写真展『American Cool』にてデュークのポートレートが選ばれた。その展で選ばれた他の写真にはフレッド・アステア、デボラ・ハリー、スティーブ・マックイーン、マイルス・デイビス他がいる。

ハワイで発行されたデュークの記念切手
出典 : Reference Memory of Duke, Encyclopedia of Surfing, The Next Wave, Surfer Magazine

デューク・カハナモクにまつわる逸話

デューク・カハナモクは古代ハワイのカメハメハ大王の血統を受け継いでいる。しかし『デューク』という名の由来はその家系とは関係なく、彼の父が生まれたときイギリスのエジンバラ公爵がハワイを訪れ、その公爵(Duke)という称号が父の実名となり、長男(デューク本人)に受け継がれた。ちなみに父親の職業は警察官でカハナモク家は6人兄弟だった。

金メダリストとなったデュークは世界中にその名が知られハワイの民間大使となり有名人がハワイを訪れると出迎えはデュークの役目となった。そのなかにはケネディ大統領、ジョン・フォード、チャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、ベーブ・ルース、ジョー・ディマジオ等がいる。

デュークは有名無名を問わず多くの人にサーフィンを教えたが一度もレッスン料を請求することはなかった。だが当時は人種的偏見の強い時代であったこともありデュークは私生活では経済的に困窮していたという。しかし彼の物静かで寛容な性格は多くの人々から尊敬を集め、ホノルルの名誉保安官に13期も選ばれた。

晩年はキモ・マクベイという有能なマネジャーの助けでビジネスでも成功した。死後、彼の灰はワイキキの海に撒かれ、葬儀に参列した人々で海岸は埋め尽くされた。

「いいかい、波は永遠に続くんだから。じっくり待って、行きたい奴には行かせてやって、次のやつに乗れば良いのさ。」デューク・カハナモク

李リョウ

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