サーフィンの裾野を広げた偉大な発明家逝く ~トム・モーレイと彼のブギーボード~

「ジョージ・グリノーとトム・モーレイは、僕にとって特別な存在」と友人のシェイパーが私にそう言ったことがあった。カリフォルニア生まれの彼は、子供のころからさまざまなタイプのサーフボードに乗ることができる恵まれた環境で育った。サーフィンが上手いだけでなく過去のボードデザインにも精通したその彼は、生まれつきの造形センスもあり必然のようにサーフボードビルダーとなった。彼がグリノーとモーレイの名を挙げた理由ははっきりしていた。それは2人の既成概念に囚われない溢れるほどの発想力だ。

さて、boogie という単語をMacの辞書で調べると, boogie board という熟語がその末尾にあり『ブギーボード(短いサーフボード)』と訳があった。もちろんブギーボードとはトム・モーレイが考案したサーフボードの商品名だ。辞書に掲載されるほどその名が一般化していることに私は驚いた。サーフィンの歴史を振り返ってみても、これほどまでに普及した名称はブギーボード以外にはちょっと思い浮かばない。

スタンディング・サーフィンを志向するサーファーは、ボディボードを別のジャンルとして見てしまう傾向がある。しかし俯瞰的に見れば、この二つはサーフボードという同じ領域にカテゴライズされる。サーフボードの上に立つもしくは立たない、という議論については次の機会に譲るとして、サーフィンの原点ボディサーフィンと照らし合わせてみると、モーレイのブギーボードの方がサーフィンの本質により近いとみなすこともできる。

辞書に載るほどブギーボードという名は一般社会に広がった。写真はボトムに滑らかなシールを貼って加速性を向上させたモーレイ・ブギー・マッハ7-7というモデル。この頃よりパイプラインやワイメアのショアブレイクでのチャージが盛んに行われるようになり、従来の常識が覆されることになる

モーレイがこのブギーボードを思いついたコンセプトは「誰もが簡単にサーフィンを楽しめる」というものだ。ハワイアンが考案したパイポからモーレイがヒントを得ただろうと容易に察しがつくが、ブギーボードは、『ビギナーの非力な両腕』を補うために、パドルする代わりにフィンを履いた両足を使い、腹ばいのままで立つ必要もなく、ソフトな材質のサーフボードによって事故を未然に防ぐ、という画期的なものだった。初めてサーフィンを体験する人でも、瞬く間に自力で波をとらえてサーフできるサーフボード、それがブギーボードだ。

ブギーボードの発明で、トム・モーレイはさぞかし大儲けをしただろうと思っている人が多いが、それは誤解である。じつはボディボード(ブギーボードの総称)がやがて大ブレイクする数年前に、彼はブギーボードの権利を売却しその資金をモーレイ・ドイルなどの開発につぎ込んだのだ。彼は優れたエンジニアではあったが、優れたビジネスマンではなかった。晩年は、目の病を患い手術を受けようにも医療費を捻出することができなかった。マイク・スチュワート(プロボディボーダー)他がそのためにファンドレイザーを立ち上げて一般サーファーから資金を集める運動を起こした。

ブギーボードのスポンジのような材質を生かしてスタンディング用のサーフボードを作ってみてはどうだろう?とは、誰でも考えつくことだ。サーファーのトム・モーレイにとってもそれは当然の成り行きだった。彼は有名なプロサーファーのマイク・ドイルと組んで、モーレイドイルという名のサーフボードを開発している。だが当時は市場では反応が鈍かった(レッスン用のサーフボードとしてあるていどの成功は得ている)。

21世紀になった今、モーレイの発想を模倣したボディボードやソフトサーフボードの隆盛を見れば、彼の先見の明が正しかったことが分かる。ただ、あまりにもモーレイの発想が先行し過ぎていて、人々が追いつくまでに半世紀近い時間が必要だった。もし彼の発想をバックアップするような研究所や組織が設立されていたら、もっとすばらしい成果を発揮しただろうと思う。故人の御冥福を心から祈りたい。

トム・モーレイの略歴

(マット・ワルショーのサーフィン百科事典より抜粋)

1935年ミシガン州デトロイト生まれ。9才でカリフィルニアのラグナへ移った。12才のときにサーフマットでサーフィンを初体験、5年後にサンタモニカに移ってからスタンディングのサーフィンをはじめた。

1958年にダグラスエアークラフトのエンジニアとなる。南カリフォルニア大学を卒業してから一年後1964年にダグラスを辞職し、トムモーレイ・サーフボードを開業する。その翌年、デザイナーでサーファーのカール・ポープとモーレイ・ポープサーフボードをサンディエゴに開業した。ジョン・ペックのペネトレーターなどさまざまなデザインを発表するが、際立っていたのは三つのパーツに分けて専用のバッグに収納できるサーフボードを発表したこと、だが60年代には受け入れられなかった。

1965年スリップチェックというスプレーを発表する。サーフボードに吹きかけると滑り止めになる商品だった。その2年後にはW.A.V.E.という取り外し可能なフィンシステムを発表し商業的に成功する。

スプレーする滑り止め「スリップチェック」の広告。ちなみにロングボードのノーズコンケープもトム・モーレイによるアイデアによって普及した

同年にはトムモーレイ・インビテーショナルという世界初の賞金コンテストを開催。ノーズライディングの時間を加算して合計を競うというフォーマットで、ミッキー・ムニオスがマイクヒンソンを退けたが、のちに集計のミスがあったことをモーレイ本人が認めている。

トム・モーレイはサーフィンの雑誌にさまざまなジャンルの記事を寄稿している。サーフコンテスト、波のメカニズム、ライディングテクニック、健康、サーフィンの芸術性等、なかでも彼が一番こだわったのはサーフボードデザインに関してであった。「どれもこれも私にとってはオールドスタイル、そのすべてに改良の余地がある」とモーレイは2008年のサーファーズジャーナルに語っている。

トム・モーレイを有名にしたのはモーレイ・ブギーの発明だ。ソフトな材質でフレキシブルなボディボードは彼によって開発された。1973年のことだった。彼は25ドルのそのキットをメールオーダーで販売した。このブギースタイルのサーフィンはボディボードと呼ばれるようになり80年代中期には大流行となった。しかしモーレイは1977年に権利を売却していた。その後、彼はブギーボードと同じ材質でスタンディング用のサーフボードをマイク・ドイルと開発し、モーレイ・ドイルという製品を発表、ビギナーサーファーの入門用ボードとしてスタンダードとなる。米サーファー誌が1999年に企画した『今世紀最も影響を与えたサーファー25名』の中に選出された。2003年にはハンティントンビーチのウォークオブフェームに選ばれた。

2021年、長い闘病の末に永眠、享年86才

Tom Morey Ventura 1966  by Bill Delaney
トム・モーレイは、サーファーとしても卓越した技術を有していた

(李リョウ)

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