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【エピソード:サーフワックス】サーファーがサーファーのために作った会社『サーフリサーチ』

「良いもの食って楽に暮らし、サーフ良ければ死も悔いは無し」
サーフィン用ワックス、ワックスメイトのラベルに印刷された人生訓

「サーフワックスで儲けてもっとサーフィン」と企んだ連中がいた。その連中たちはプロサーファーのマイク・ドイルとラスティー・ミラー、そしてハンセンサーフボードで働いていたガース・マーフィーと、そのオーナーのドン・ハンセン。彼らは『サーフリサーチ』という会社を、伝説のスワミが一望できる丘に立ち上げた…。サーフワックス黎明期に起きた物語と、その誕生秘話についてまとめてみた。

サーフリサーチが発売したワックスメイトのラベル。
実験用フラスコの中でソウルアーチを決めているのはデビッド・ヌヒワ
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この実話が起こったのは60年代、その顛末記(てんまつき)がサーファーズジャーナル日本版27-1,に『サーフ人生向上の化学作用』という記事として掲載されている。そのストーリーの内容はいかにもサーファーらしく、ちょっと笑えて、ああ僕もこのチームの1人でいたかったと思わずにはいられない魅力に溢れている。

さて、サーフィン用ワックスだが、それが普及する前、サーファーは業務用のパラフィンをドラッグストアで購入して使っていた。そもそもワックスの原料であるパラフィンが滑り止めになることを発見したのは、アルフレッド・ガラントというパロスバルデスのサーファーで、1935年のことだった。ガラントはまず床用の液体ワックスを塗って効果があるのを発見した。それから母のアドバイスで固形パラフィンを使ってみるとさらに結果が良かった。そのアイデアは瞬く間に広がり、サーファーは業務用のパラフィンを、それから25年以上も使い続けた。

サーフィン用ワックスを調べていて驚いたのは、ウッドボードの時代は、サーフボードのデッキにニスに砂を混ぜて塗布していたらしい。滑り止めとしてはよく効いただろうけど、足や膝などはこすれて血まみれになったという。そりゃあそうだよね、サンドペーパーみたいなものだから。

サーフィン用のワックスが誕生したのは、サーフィン百科事典によれば1964年にハンティントンビーチのジャックスサーフボードで売り出されたのが始まりだ。だが、最初は業務用のパラフィンを切り分けただけのものだったらしい。それを水温に合わせて固さを三種類にし、それぞれを別の色で染めて識別できるようにアップデートしていき普及していった。

さて、話をサーフリサーチに戻そう。事業の中心的立場だったドイルには会社立ち上げの動機があった。彼はカタリナという衣料品メーカーと契約していて、サーフィンのエキジビションを行ったときに、ショーツがお尻から裂けてしまうという爆笑事件があった。それに懲りたドイルは、本物のサーフショーツを作ろうとカタリナの上層部に呼びかけたが、反応は鈍かった。そこでドイルは偽物のショーツは身につけられないとその契約を破棄する。

スワミの前にあったサーフリサーチつまりサーフィン研究所、当時世界中の一流サーファーが集った。奥に見えるのはハンセンサーフボード。
写真:サーファーズジャーナル日本版27-1より

その後、ドイルはラスティーやガースと東海岸へハンセンサーフボードのプロモーションに出かけ、サーフブームだったその地で、サーフグッズが飛ぶように売れている光景を目の当たりにする。そこにはカタリナのような、イメージ戦略だけで売る偽物も数多くあった。そこでドイルは本物の製品を一般のサーファーへ伝える責任がプロサーファーにはあると痛感したというわけだ。

東海岸では、ジャンセン社が作った腰が抜けるほどダサいトランクスとウィンドブレーカーのセットもコーキー・キャロルとリッキー・グリックを広告に使ったおかげで店の陳列ケースからあっという間に売り切れた

サーファーズジャーナル日本版27-1『サーフ人生向上の化学作用』より

カリフォルニアに戻ったドイルたちは、ハンセンサーフボードのオーナー、ドン・ハンセンに事業の立ち上げを相談する。叩き上げの実業家でもあるハンセンはビジネスとしての可能性を感じて彼らの話に乗ることになり『サーフリサーチ』という会社が立ち上がった。

そこでドイルたちがまず着手したのがサーフィン用ワックスだった。業務用のパラフィンは冷たい海では効果が薄く、友人の助けを借りて水温に合ったワックスを開発。ワックスメイトという商品名で25セントという当時としては高い価格設定で販売した。売り上げは、初年度は2万5千ドルだったが、翌年は25万ドルに達した。

(左から)ガース・マーフィー、ラスティー・ミラー、マイク・ドイルたちの重役会議。事業が拡大していくなかで彼らはその情熱を失っていった。
写真:サーファーズジャーナル日本版27-1より

サーフィン用ワックスの順調な売り上げを屋台骨にして、彼らはさまざまなアイデアの商品を市場へ登場させていった。さらにプロサーファーであるドイルとラスティーは世界戦にも遠征に出かけ、世界のサーファーと交流を持つようになり、エンシニータスの『サーフリサーチ』はスワミから北へ向かうときのサーファーたちの通過点となっていく。

そしてドイルのソウルハウスは磁力となってサーファーを引きつけた。溜まり場、音楽、大豆バーガーそしてツリーハウスでの瞑想、ショートボードのシェープ、そして奇妙なマインドマシンのアイデアが浮かぶとただちに近くのブレイクでテストが行われた。このエンシニータスのサーフリサーチに引きつけられたエリートサーファーを挙げると、ジョーイ・カベル、ビリー・ハミルトン、ハービー・フレッチャー、バリー・カナイアプニ、ジェリー・ロペス、リノ・アベリラ、ラッセル・ヒュー、スキップ・フライ、マイク・ヒンソン、デビッド・ヌヒワ、そしてナット・ヤングがいる

サーファーズジャーナル日本版27-1『サーフ人生向上の化学作用』より

好調な売り上げを続けた『サーフリサーチ』だったがオリジナルチームは解散となる。事業の拡大に伴い多忙となり、さまざまな雑事も発生し、ドイルたちは意欲を失ってしまた。サーフィンがしたくて始めた事業だったが、彼らは事業家としての成功は求めていなかったからだ。

抜け目のないドン・ハンセンがサーフリサーチの権利を他に売却すると、ドイルはオレゴン州へと旅立ち、のちにメキシコへと移住し画家となる。ラスティはカウアイ島で隠遁生活を始め、やがてガース・マーフィーがオーストラリアのニューサウスウェールズへ引っ越したことを知るとその後を追う。それが縁となり映画モーニングオブジアースに出演して、ウルワツのバージンウェーブをサーフするというサーファー冥利につきるチャンスをモノにすることになる。

「(前略) ワックスの生産は同じことの繰り返し、発明にも飽きてきた。僕たちは冒険がしたかった。恋やロマンスも。もちろんサーフィンもしたかった」
ガース・マーフィー、サーファーズジャーナル日本版27-1『サーフ人生向上の化学作用』より

(李リョウ)

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