Bishop Museum History of Surfing by Nat Young

いつ、どこでサーフィンは生まれて、今日まで続いているのか?

シリーズ「サーフィン新世紀」25

古代から現代へ。サーフィンのヒストリーは、思ったいじょうにおもしろい


サーフィンは、びっくりするほど長い歴史をもっています。人類史上もっとも古いスポーツの一つと言えるでしょう。発明したのは古代ハワイアンという説が有力です。

ボディサーフィンのように波に乗る遊びは世界中にあります。1200年程前の古代中国の王族も波乗りをして遊んでいたと考えられています。しかしサーフボードを発明し、その上に立って滑るという現代サーフィンに通じる高度な技術はハワイでしか育ちませんでした。

サーフィンの由来は、彼らが発明したアウトリガーカヌーにあると思われています。片側支持のアウトリガーカヌーは安定性もあり、かつ海のさまざまな状況に対応できます。

古代ハワイアンが漁から戻るときに、カヌーで波に乗って陸へ戻ったことが、やがて娯楽となり、カヌーがサーフボードへとアップデートされていったと思われます。

サーフィンは、大昔ハワイで大流行していたことがチャントで歌われています。古代ハワイアンは文字の無い文化で、歴史は歌によって口伝として語り継がれました。それをチャントと(詠唱)呼びます。ハワイアンのチャントによれば15世紀ごろには、ハワイ全土でサーフィン(ハワイアンの言葉で『ヘエナル』)は大流行していました。

C.J ,Hedemann History of Surfing by Nat Young

王家から平民までこぞってサーフィンを楽しんだだけでなく、試合も行われ、勝った者は勇者として讃えられました。全長の長いサーフボードはオロ、短いのはアライアと呼ばれました。オロは王様や王族だけが使うことを許され、またサーフポイントも身分によって分けられたようです。

チャントの中には、山の部族に嫁いだ海の王女が、サーフィンができなくて嘆き悲しんだ、というストーリーなどもあります。

サーフィンを初めて発見したイギリス人の日誌

サーフィンをヨーロッパ人で初めて発見したのは、イギリスの海軍士官ジェームス・クック船長です。帆船で航海しているとき1770年にハワイを発見したクック船長は、ハワイ島のケアラケクア湾でハワイアンたちがサーフィンを楽しむ光景を見て、航海日誌に記録しています。

ジェームス・クック船長 Wikipedia

20から30人の原住民は、それぞれに長く幅の狭いボードを持っている。両端の丸いそれと共に海岸から沖へと向かった。最初の波がやってくると彼らはボードをひっくり返して下に潜り、波を抜けて浮かび上がると全速で水泳をした。二つ目の波がやってきて、最初の波と同じように彼らは行なったが、うまくやり遂げるにはどれだけ深く潜れるかが重要だった。もし失敗するとその男は波の力に押し戻されてしまい、巧妙さによって岩に衝突するのを避けていた…

…なんどかその努力を繰り返し、波を越えて静かな水にたどりつくと、彼らはそれぞれのボードに横になって岸へと戻る準備をした。波は複数でやってきて、常に三つ目の波が他にくらべて一番大きくそして速く岸に進んだ…
彼らの目的は大きな波の頂上に自分自身を置くことで、それによって彼らは驚くべき急激さで岸へと向かった…

クック船長の航海日誌より

宣教師に禁止されたサーフィン

しかしクック船長によるハワイの発見は、楽園ハワイにとっては不幸の始まりでもありました。19世紀になるとキリスト教の布教のために宣教師たちがハワイにやってきてヨーロッパの価値観をハワイアンたちに押しつけようとし、キリスト教の布教のじゃまになったサーフィンを禁止してしまったのです。波が良くなると誰も教会に来なくなったからです。サーフィンだけでなく、欧米からのさまざまな外圧や策謀によってハワイの王朝は衰退し、アメリカの州となりました。

一度は廃れてしまったサーフィンですが、ワイキキで復活します。ハワイが常夏の島として観光業が盛んになります。観光客が水難に遭わないようにと、ハワイアンたちがビーチボーイとしてホテルに雇われるようになりました。そこでアクティビティとしてカヌーや、サーフィンが復活したのです。
このサーフィンが復活したときも、キリスト教会から反対の声が上がりましたが、波の穏やかなワイキキだけはサーフィンが許されました。やがてハワイアンだけでなく、ハワイに移住したヨーロッパやアメリカ人の子供たちもそのスポーツに親しむようになります。

そのビーチボーイのなかにデューク・カハナモクがいました。デュークは水泳でアメリカの代表選手となりオリンピックのストックホルム大会の水泳に出場し、世界新録を達成しゴールドメダリストとなります。
デュークは世界中の水泳大会に招待されることになり機会があれば海でサーフィンを行ってこのスポーツの布教に努めました。例えばオーストラリアではシドニーのフレッシュウォーターというビーチでデモンストレーションが行われ、サーフィン大国となる礎となりました。ちなみにデュークは東京オリンピックにもゴールドメダリストとして招待されています。

ジョージ・フリース Legends press History of Surfing by Nat Young

カリフォルニアへサーフィンを伝えたのはハワイ出身のジョージ・フリースです。レドンドビーチとロサンゼルスを結ぶ鉄道のプロモーションとして、ジョージはその開発業者だったヘンリー・ハンティントンに呼ばれてサーフィンのデモンストレーションを行いました。

その後フリースはカリフォルニアに移住し最初のライフガードとなります。1908年の12月の波の大きい日に、難破した漁船から日本人7名を救出しています。その勇気を称えてカーネギーメダルを彼は贈呈されています。フリースは少なくとも79名の命を助けています。しかしインフルエンザが原因で35才という若さでこの世を去ってしまいました。

カリフォルニアへと渡ったサーフィンは、やがてその地で流行しサーフボードの開発も行われていきます。プラスチックのサーフボードもカリフォルニアで誕生しました。しかし現代サーフィンの歴史は、まだ100年あるかないかです。しかし古代ハワイアンのサーフィンの歴史は少なく見積もっても500年以上、ひょっとしたら1000年以上かもしれません。人類の歴史とともに歩んできたスポーツと言っても過言ではないのです。

(李リョウ)

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