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世界プロツアー誕生前夜、その一。
『WSL』の生みの親『IPS』誕生の秘話

シリーズ「サーフィン新世紀」18

IPSは世界的なプロフェッショナル・サーフィン・ツアーの礎となった団体で、1976年にハワイに住む2人のサーファー、フレッド・ヘミングスとランディ・ラリックによって立ち上げられた。

このIPSが設立される以前にも、非公式にプロコンテストのサーキットはハワイ、オーストラリア、南アフリカに存在していたが、統一性が無く、それゆえ総合チャンピオンも決まらず「ジプシーツアー」と揶揄されていた。

1969年にはビッグウェーブのパイオニアであるフレッド・バン・ダイクとホノルルの資本家ロン・ソレルがプロサーファーの団体を組織しようと企てたが徒労に終わった。

IPSの元世界チャンプ、マーク・リチャーズ Ref:https://eos.surf

そんな折、ヘミングスがプロフェッショナル・サーファーズ・アソシエーションという名の組織を立ち上げようとするが、暗礁に乗り上げてしまった。1968年のISA世界チャンピオンでもあるヘミングスは、世界ツアーの代わりに、オアフ島のノースショアでサーフコンテストを運営することにした。(彼はパイプラインマスターズを1971年に創設、毎年行われるデュークカハナモククラシックとスミノフプロコンテストも運営した)そして1976年に世界ツアーの構想を再燃させて、そのためのレーテングシステムも同時に考えた。

ヘミングスの最初の世界ツアーの考えはシンプルで、シーズンの賞金額でレーティングを決めるというものだった。彼はそれに従って1975年のトップ15 人のサーファーをリストアップした。(南アフリカのショーン・トムソンがトップで10,875ドル、15位はエディ・アイカウで25ドル)

Ref:https://eos.surf

しかし当時25才のプロサーファーランディ・ラリックが、オーストラリアのプロであるピーター・タウネンドとイアン・カーンズらと共にポイントによるレーティング制をヘミングスに提案し、IPS(インターナショナル・プロフェッショナル・サーファーズ)が立ち上げられた。その場所はラリックの台所で、ヘミングスはエクゼクティブ・ディレクターに就任した。その年に個々に開催されていた九つの試合を、IPSのポイントシステムにて照らし合わせた。その時点では5つの試合がまだ残っていた。そして、翌年1月にピーター・タウネンドがIPS初代世界チャンピオンに認定された。

1976年はウイメンズのデビジョンも開催されたが、IPSは公式には認めず翌年から正式となった。1968年のアマチュア世界チャンピオンのマーゴ・オバーグが最初の女王に輝いた。パティ・パニシアという選手がウイメンズ・デビジョンのディレクターとなった。

リン・ボイヤー Ref:https://eos.surf

1977年はIPSにとって最初のフルシーズンとなった。ウイメンズは5つ、メンズは14の試合が予定された。

IPSの試合で最も中心的な地域となったのはハワイ、オーストラリアそして南アフリカ。だが試合はカリフォルニア、ブラジル、ニュージーランドそしてフロリダでも開催された。メンズとウイメンズは、ほとんどの場合は独立して開催されることが多かった。

IPSは設立後の5年間で有名な世界チャンピオンを輩出した。ショーン・トムソン、ウェイン・バーソロミュー、リン・ボイヤー、そしてマーク・リチャーズである。さらにその後の世界ツアーにも貢献するいくつかの大きな役割を果たしている。

その1つは1977年に、試合の観戦者にも理解しやすいマンオンマンの対戦システムを導入したこと。また長い間望まれていたカリフォルニアが1981年メンズデビジョンの一つに加わったことだ。

IPSのメンズデビジョンの試合は毎年10〜13開催された。賞金総額の合計は1976年に77,650ドル(約850万円)、1982年は338,100ドル(約3700万円)となった。ウイメンズの試合は4〜5試合が行われて賞金総額は19,500ドルから42,000ドル。(約210万円〜460万円)

しかし1982年になるとプロサーファーやサーフメディアの多くはIPSの成長が芳しくないと感じ「末期的な沈滞」と米サーファーマガジンは評した。その年の終わりになって、イアン・カーンズが指導する内部的な組織の分裂が起きた。IPSはASP(アソシエーション・オブ・サーフィン・プロフェッショナルズ)という組織名に変わりイアンがエクゼクティブ・ディレクターとなった。免職したヘミングスは彼が創設したハワイのプロイベントを運営することとなった。しかし政治的な抗争の末にそれもASPの試合として加わることになる。

IPSの過去を振り返ったヘミングスは「私たちは給料を受け取らずに、なんとかがんばった。ランディと私は私財を投じたんだ。IPSからは利益を得たことがない。ただお金を失っただけさ。でもサーフィンは他のプロスポーツのようになるべきという信念があり、一般社会にサーフィンを売り込みたかった。IPSは進むべき道を示したんだ。」

フレッド・ヘミングス Ref:https://eos.surf

フレッド・ヘミングス
ハワイ・ホノルル出身。1968年の世界チャンピオン(ISA)。パイプラインマスターズとトリプルクラウンを創設した。1985年から1991年までハワイ州議会下院議員、2001年から2010年まではハワイ州議会上院議員を務めた。

ランディ・ラリック Ref:https://eos.surf

ランディ・ラリック
シアトル生まれで子供の頃にハワイに移りサーフィンと出会う。1970年の世界サーフィン選手権のセミファイナリスト。1983年から2012年までトリプルクラウンのエグゼクティブディレクターを務めた。サーフボードシェーパーとしても知られている。

イアン・カーンズ Ref:https://eos.surf

イアン・カーンズ
オーストラリア出身。1975年のデューク・カハナモク・インビテーショナルに優勝。1977年、1980年ワールドカップ、1978年プロクラストライアルに優勝。1979年にNSSAのヘッドコーチに就任しアメリカ代表のアマチュアチームを世界チャンピオンへ導いた(1980,1984)。WSLの前身であるASPの創立者。


この記事はマット・ワルショーのサーフィン百科事典を基に構成いたしました。
This article is based on The Encyclopedia of Surfing by Matt Warshaw
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(李リョウ)

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