カレンダーの写真:ポートレイトは2016年ゴールドコーストでのもの(snowy)

「女子パワーサーファーのアイコン、タイラー・ライト」-F+

波情報BCMの会員特典「BCM x F+ 2022年カレンダー」では2001年から2021年までのワールドチャンピオンを紹介。各月の採用写真について解説するF+つのだゆき編集長オリジナルコラム企画を、THE SURF NEWSでは特別に翌月公開します。今回は10月を飾ったタイラー・ライトについて。

※このカレンダーは2022年版となります。来年度(2023年版)カレンダーではありませんのでご注意ください。

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F+(エフプラス)

カレンダーの写真:サーフィンは2021年マーガレットリバーでのもの(joli)

タイラー・ライトは女子サーフィンにジョンジョンばりの脚力を使った、えぐるような、引っ張るような、ぶっといトラックのパワーカーブを持ち込んだ選手だ。
10代でワイルドカードのCTデビュー、優勝、あるいは2位でセンセーションを巻き起こし、その後女子サーフィンを変えていくけん引力になった3人の中のひとりだ。
いうまでもなく、あとのふたりはステファニー・ギルモアとカリッサ・ムーア。その3人の中でもダントツ若かったのがタイラーだ。1994年3月31日生まれ、14歳でCT優勝の最年少記録を打ち立てた。そのタイラーもすでに28歳になる。

CT初優勝は2008年、シドニーで行われたビーチェリークラシック。ワイルドカードでの出場だった。波はサイズのないビーチブレイクで、まだきゃしゃで小柄だった少女体型のタイラーの軽さは有利と言えたし、ほかの選手がただパンピングしかできないようなセクションをスナップ、スナップで板振り回しまくりで乗りこなしていた印象が強い。
振り回しでもなんでも、ほかの選手が何もできないわけだから、優勝も当然だった。
兄弟姉妹は5人、そのうち兄のオウエン、弟のマイキーとタイラーの3人が世界レベルのサーファーになっている。両親は子供たちのサーフィンに熱心にかかわり、アマチュア時代はキャンピングカーで家族でオーストラリア各地を転戦したという。

2010年ゴールドコーストでワイルドカードとして登場。この年QS3位でクオリファイする(snowy)
2010年ゴールドコースト。まだ16歳ながら、表情にはコンペティターの厳しさが(snowy)
2011年ルーキーイヤーのベルズ。すでにパワーサーフィンの片鱗が見える(snowy)
2011年ベルズの記者会見。17歳になり、ちょっと色っぽくなった感じ(snowy)

2010年、QS3位でクオリファイした時はまだ16歳、2011年に17歳でCTのルーキーイヤーを迎える。その年はルーキーにしてランキング4位、翌2012年も4位、2013年にはカリッサに次いで2位、2014年もステファニーに次いで2位、2015年はいよいよタイラーのタイトルかと思われたが、ここでちょっとしたスランプに陥る。とはいえ、最終5位ではあったが。
そしてこの年に起きた兄オウエンのパイプでのケガがタイラーにも大きく影響、本格的に彼女にスイッチが入ることになる。

2015年トラッスルズ。年々パワーは増していくが、この年は5位。デビューから順調すぎて不安を抱えていたころ(snowy)

14歳でCT優勝からずっと、ものごとが上手く回りすぎて、自分の立っている場所が確認できないままどんどんことが進んでいき、気が付けばワールドタイトル間近、というようなとんでもない場所に立たされたプレッシャーと、その流れの中でのちょっとしたつまづきが彼女を不安にし、結果ますますスランプ、という流れは容易に想像できる。
しかし、兄オウエンの脳震盪による記憶障害に寄り添う中で、彼女自身も自分とサーフィンのかかわりの原点に立ち返り、どれだけサーフィンが好きか、どれだけサーフィンが楽しいか、そういうポジティブな部分を取り戻していったのだろう。

そして2016年、がっちりトレーニングした脚力を使って大きくパワーアップしたタイラーが、パワーサーフィンを武器に年間5勝をあげ、ぶっちぎりのトップでワールドタイトルを手にする。

2016年初戦のゴールドコーストで優勝。さす指の先には記憶障害に苦しんでいた兄のオウエンがいる。兄と家族が観戦している前での優勝だった(snowy)
しっかりレールに体重を乗せたパワーターンは、他の選手を寄せ付けなかった(snowy)
2016年2戦目のベルズではイエロージャージー。今でこそこのパワフルな感じは女子のスタンダードになったが、当時は彼女だけが持っていたものだった(snowy)
2016年トラッスルズでも優勝。この年はトータル5勝をあげて初のワールドタイトルに輝いた(snowy)
2016年トラッスルズの表彰式。この足が彼女のパワーサーフィンを支えた。シーズン中にもどんどんパワーアップしていた感があった(snowy)

この年のタイラーは、もうしばらく誰もあそこには届かないだろうし、この先みんながタイラーを目指していくんだろうし、女子サーフィンの流れはパワーサーフィンへシフトするんだなと多くの人に思わせるほど革新的だった。

2017年トラッスルズ。スピード、パワー、フローのクライテリアを満たしたタイラーのサーフィンはこの年もタイトル連覇。この後これが女子サーフィンのスタンダードになる(snowy)

翌年もタイトル連覇、しかし2018年にはインフルエンザウイルス感染後の後遺症で後半を欠場して12位、2019年もようやく最終戦に間に合いはしたものの、ほぼ試合に出られず18位だった。

2018年ベルズ。この年は後半5試合を欠場、12位に終わる。翌2019年も欠場は続き、最終戦でようやく復帰。約1年半のツアーオフになった(snowy)

この連覇後の長い欠場の頃、彼女はLGBTだとのうわさが流れていて、当時はもうツアーに戻らないんじゃないだろうか、とまで言われていた。実際には1年半にわたるオフの間にGFのアレックスと出会い、彼女の助けで心身の平穏を取り戻していった。その後2020年には、自らバイセクシュアルであることや、アレックスの存在を告白している。
もとよりオーストラリアはゲイとかレズビアンとかに寛容な国で、特にシドニー界隈ではマルディグラのゲイパレードとか有名だけど、女子サーフィンの歴史の中で、レズビアン的な問題は避けて通れない部分でもある。実際に今の女子選手たちの何世代か前には、女子選手は結構な割合でレズビアンだった。リサ・アンダーソンがデビューしたころ、彼女はその影響を恐れて女子選手と距離を置き、パット・オコーネルやロブ・マチャドなどのメンズ選手とツアーを回っていたのは有名な話だ。当時の女子選手の中には引退してからそっちに行った人も多い。しかし、女性を前面に出し、ビキニで試合、男勝りではなく、女性としてのフェミニンさが売り、という流れになった今の時代の女子選手の中では、LGBTは異色だ。でも隠すことなく堂々とそれを宣言して生きていく、というタイラーの選択には彼女の強さを感じるし、21世紀ならではというか、おおらかなオーストラリアというお国柄だなぁ、と思う。
ケガや病気もあり、なかなかタイトルを取った年のようにがっちりと歯車がかみ合わない近年だが、パワフルなサーフィンは健在だ。

ツアーの中で少女から大人になっていったタイラー。印象に残るのは10年ぐらい前のベルズでの記者会見で、初めてちょっとメイクして出てきたときだった。うわ~、女になっちゃって、みたいな、ちょっとドキッとするような変化だった。今まではツアーがすべてだったけど、この先の長い人生にはもっともっとたくさんの波が待ち受けているにちがいない。でもタイラーなら上手に乗りこなしていけそうな気がする。

F+編集長つのだゆき

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