flow誌の表紙を飾るミック(2007年) Photo: snowy

「ミック・ファニングほど波乱万丈な人生を送っている人を他に知らない」-F+

波情報BCMの会員特典「BCM x F+ 2022年カレンダー」では2001年から2021年までのワールドチャンピオンを紹介。各月の採用写真について解説するF+つのだゆき編集長オリジナルコラム企画を、THE SURF NEWSでは特別に翌月10日頃に公開します。今回は5月を飾ったミック・ファニングについて。

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F+(エフプラス)

ミック・ファニングほどオンオフの切り替えが上手い人を知らないし、ミック・ファニングほどあらゆることを黙って呑み込める人を知らないし、ミック・ファニングほど波乱万丈な人生を送っている人を他に知らない。

映画やドラマが何本も作れそうなほどものすごい人生を送っていると思う。私は人生のすべてのことは運命だし、バランスだと思っているので、いいことと悪いことは起こるべくして起こる、とは思うものの、ミックの場合はドラマチックな人生といえる人の送っている人生をいくつも重ねたような、何でそこまで……とため息が出てしまうような人生なのである。私が知っている事柄だけでも、だ。

Photo: snowy
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ポジティブなほうはプロサーファーとしてのキャリアになるが、2001年、ベルズのリップカールプロに出場。リップカールが21世紀に満を持して送り出すトップライダーとしてミックにWCTのワイルドカードを与えた。その期待に応えて、彼はこの試合でワイルドカードながら優勝を果たす。

Photo: snowy

毎ヒート、ヒート前にはルーティンのようにビーチで黙々とストレッチしていたのを今でもよく覚えている。
当時の若手のサーフィンがジャッジの目に新鮮だった、ということだったと思う。インサイドの見せ場でのオフレール系の技にハイポイントが出ていた。
そしてその年のWQSでは見事1位で順調にWCTにクオリファイする。すでにここまででも十分ドラマチックだ。

Photo: snowy
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そして2002年のルーキーイヤー。ゴールドコースト、ベルズ、タヒチ、フィジーと17位を続けた5試合目のJベイで優勝、ブラジルで2位、パイプで4位で、ファイナルランキングは5位、今ならファイナルファイブ入りということになるが、もちろんその年のルーキーオブザイヤーを手にする。

Photo: snowy
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そして2007年、念願の初ワールドタイトルを獲得する。その後、2009年、2013年と3度のタイトルを獲得していく。

私生活では結婚、離婚、再婚を経験、現在は子供にも恵まれ幸せにやっている。パーコやビード・ダービッジ、ジョシュ・カーらと立ち上げたクラフトビールのバルターは順調に成長し、ファウンダーとしては大成功、所有しているクーランガッタ界隈の不動産価格はうなぎのぼりだ。

ネガティブなほうは、まず1998年、ミックが17歳の時に兄のショーンを自動車事故で亡くしてしまう。そして2004年、ハムストリング筋の断裂という選手生命を脅かしかねない大けがを負う。

Photo: WSL

2010年には親友のアンディ・アイアンズを亡くし、2015年にミックを世界的に有名にしたあのシャークアタックが起きる。場所はツアーに入ってルーキーイヤーで優勝を飾った南アフリカのJベイ。ジュリアン・ウイルソンとのファイナルヒートの序盤での出来事だった。幸いケガはなかったものの、PTSD的ダメージは計り知れないと思う。がしかし、その年はツアーを続け、ロウワーで優勝、フランスで5位と4度目のタイトルに王手をかけ、イエロージャージーで最終戦のハワイ、パイプに臨む。

しかし、この試合の最中にオーストラリアでもうひとりの兄、ピーターが突然死してしまう。それでもミックは黙々とヒートをこなし、セミファイナルまで勝ち上がったが、セミでガブリエル・メディーナに敗れてこの試合を終えると、ビーチのリップカールテントで崩れ落ち、号泣した。周囲の人たちがミックを囲んでその姿を隠していたのが、ミックがこの試合で背負っていたものの重さを物語っていた。

とまぁ、朝ドラ、何本でも行けそうですよね。

21世紀の新しいサーファー像というか、サーフィンとアスリート的な向き合い方をし、トレーニング、コーチング、メンタルトレーニング等のオリンピック選手的アプローチを初めてツアーに持ち込んだのもミックだと思う。近代サーフィンのすべてを変えてしまうほどの大きな変化をシーンにもたらしたといえる。
今でこそみんなコーチがいて、ビデオグラアファーがいて、トレーニングして、ビデオ解析して、が普通だけど、それはミックが2004年に負ったハムストリング筋の断裂という大きなケガから復帰した後のことと言えると思う。このケガのリハビリのためにトレーニングをして肉体を作っていき、学んだことを生かし、2007年の初タイトルとなる。

2022年、ワイルドカードでベルズに出場したときのミック(Photo by Angela Zorica)

当時からコーチまではつけている選手はいたし、フィジカルトレーニングは昔からトム・キャロルとかが取り入れてはいたけど、サーフィン向上のための肉体サイボーグ化というレベルではなかった。サーフィンのための肉体作りはサーフィンをすることが一番、というのが普通に言われていた時代だ。それは当たらずといえども遠からずではあるが、現代サーフィンにはそれだけじゃ足りない。成長期の若者は別として、男女ともに身体が出来上がったらトレーニングでパンプアップだ。
そして少なくともミック以前には、メンタルトレーナーという言葉はツアーにはなかったと思う。
21世紀のサーフィンの進化に大きく貢献したサーファーを厳選すれば、ケリー(技術革新2回)、ミック(フィジカル、メンタルの革新)、ガブ(ブラジルの躍進)、イタロ(エアーの進化)だろうと思う。

F+ MAGAZINEではミックは表紙の常連だった

まぁ、こうして書いてみると本当にものすごい人なんだけど、いたって普通の人なんですよね。たぶんアンディがフィジーで紹介してくれたんだと思うんだけど、それ以来合えば話をするようになった。どんな人か、と聞かれても、もう普通のいい人です、って答えしか出てこない。オージーの気取らない兄ちゃん。飲めばビールでもテキーラでも何でも来いで、酔えばただのしょーもないデロデロの酔っ払いのおっちゃん。

ミック引退時、テーマハッシュタグは#CHEERSMICK Photo: snowy

しかし試合ではストイックの上を行くストイック。このオンオフの差を似たようなレベルで持っている人を私は知らない。その人生のバランス感覚はものすごいものだと思うし、だからこそ、すべてを乗り越えて今のミック・ファニングがいるのだと思う。

Photo: snowy

カレンダーの写真は2009年のベルズでのもの。ポートレイトは2013年に3度目のタイトルを取ったときのもの。翌2014年、ガブリエル・メディーナがブラジルに初の世界タイトルをもたらし、パンドラの箱を開ける。

F+編集長つのだゆき

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