チャンネルボトムはオーストラリアで生まれの異端的ボトムデザイン Channel bottom is a maverick bottom design born in Australia phil@philmyerssurf.com

チャンネルボトムの知られざる足跡

シリーズ「サーフィン新世紀」22

マニアックなボトムデザインと、知られざるサーフヒーローたち


チャンネルボトムの誕生は、1970年代にオーストラリアへ移住したアメリカ人マイク・デイビスという説が有力だ。彼はニューサウスウェールズの波「ボーンヤード」のためにサーフボードのデザインを考えていた。

ボーンヤードの波はパワフルで、早いテイクオフを求められた。当時はシングルフィンの時代で、ガンだと長すぎるし、短いボードだとスピンアウトしてしまった。ある日、彼はモーターボードの船底のスロット(溝)に注目し、チャンネルボトムのアイデアが浮ぶ。

サーフボード工場へ直行した彼は、サーフボードのストリンガーを中心に、左右に3本のスロットを入れた。テストの結果は良好で、テールをワイドにしても、スロットによりグリップが効いて安定するようになった。その結果サーフボードも7’6”から6’10”まで短くすることができたらしい。だが、当時はガラスクロスが粗悪で、ラミネートが難しかったようだ。

初めてのハワイへ遠征する直前に撮られたコル・スミスとチャンネルボトムのサーフボード
Col Smith with his quiver by Jim Pollard. Geoff “Crow” Moore collection crowsgarage@outlook.com

チャンネルボトムにはもう一つの誕生の話がある。1975年オーストラリアのジム・ポーラードというマンリー出身のシェーパーが、アメリカのサーフ系雑誌の記事からヒントを得てチャンネルボトムを考案する。そのボトムは、現在のチャンネルボトムとは異なり、砂丘の風紋のような波型だった。ポーラードは他にもさまざまなチャンネルを作り、テールから外側に沿ってカーブするようなデザインも作っている。

ポーラードのチャンネルボトムは、当時のオーストラリアで人気が高まり、やがてシェーン・ステッドマンという人物とフリュードフォイルというブランドを立ち上げる。そのチームライダーとなったのが「コル・スミス」というサーファーで、このボトムデザインの悲劇の功労者となった。彼は1977年にハワイのノースへ初めて訪れ、プロプラストライアル選手権に外国人枠で出場し、いきなり優勝。 さらにパイプラインマスターズでは7位という二つの快挙を達成して注目を浴びた。

Surfer Magazine Vol.19 No.1 当時の米サーファー誌にもコル・スミスのインタビューが組まれた

そのときにスミスが乗っていたのはポーラードがシェイプした8本のチャンネルが入ったサーフボード。 コル・スミスは1978年に開催されたベルズでのクイックシルバートライアルにも優勝。トラックス誌にコル・スミスとジム・ポーラードのインタビューが組まれたこともあって、オーストラリアでチャンネルボトムは一定の支持を得た。しかし意外にもハワイでは奇妙なデザインと受け取られたに過ぎなかったようだ。

Martin Littlewood Geoff “Crow” Moore collection crowsgarage@outlook.com コルは非対称ボードの開発にも着手した。写真はシェーパーのマーチン・リトルウッド

その後、オーストラリアに戻ったコル・スミスはジム・ポーラードのところを離れ、マーティン・リトルウッドというシェーパーとチャンネルボトムを開発するようになる。ジム・ポーラードの貢献は大きいが、チャンネルボトムをさらにリファインしたのはリトルウッドとコル・スミスだった。現在のクリンカーと呼ばれるチャンネルの形状は彼らのアイデアによるものだ。そのヒントはクリンカー船と呼ばれるハルの構造が由来だ。

クリンカー船のハルが現在普及しているチャンネルボトムのヒントとなった

しかし、2人はチャンネルのデザインで意見が別れて決別する。その後コルはフィル・メイヤーズと組みチャンネルボトムの開発を続ける。しかし惜しくも31才の若さでコル・スミスは病死してしまう。(彼は喫煙家だったために肺がんと噂が広がったが、実際は泌尿器系のがんが死因だった)コルの意思を受け継いだフィルはコル・スミスモデルを現在も作り続けている。コル・スミスの地元であるレッドヘッドでは、彼の偉業を讃えて毎年コンテストが開かれている。

フィル・メイヤーによるコル・スミスモデル、かなりスパルタンで10本のスロットが異彩を放つ Formula1 in terms of car phil@philmyerssurf.com

じつはコル・スミスのハワイでの活躍に大きな影響を受けたサーファー/シェーパーが1人いた。ニュージーランドのアラン・バーンである。彼はハワイでコルのサーフィンを見たときの衝撃をあるインタビューで語っている。「コル・スミスをパイプラインで見たが、あのようなサーフィンは初めてだった。彼は、ジム・ポーラードのチャンネルボトム、シングルフィンを使っていた。僕は彼が海から上がってくるまで待っていて、声をかけた。『すごいな、ボードを見ても良いかい』すると彼は横目でじろりと見て『誰にも言うなよ』と一言。パイプの試合で3位か4位になったのはその後すぐだったと思う」

チャンネルボトムといえばアラン・バーンが有名で、その功績も華々しいが彼の発明ではなく、コル・スミスとの出会いによってこのボトムデザインに関わるようになったと彼自身が認めている http://byrningspears.com.au/

アラン・バーンはチャンネルボトムで名声を博したが、そのことについて2013年の米国サーファーズジャーナル誌にも語っている。「最初に作ったチャンネルボトムは溝が浅すぎて失敗だった。それからマーティン・リトルウッドのところへ行き、彼に一本作ってもらったんだ。そしたらすごく深いチャンネルを掘った。彼は、僕のチャンネルボトムの先逹(せんだつ)だよ。彼はポーラードの浅いチャンネルとは違い、物理的かつ哲学的信念で深いスロットを入れた。私はそれで次のステップへと突き抜けたんだ」
(1981年のパイプラインマスターズにてアラン・バーンは自ら開発したチャンネルボトムで2位となっている)

ジム・ポーラードとコル・スミスはチャンネルボトムでいくつかの成功を収めた。そしてアラン・バーンはそれを流行させたといえる。アランのボードはビジュアル的にも優れて、チャンネルボトムの性能が発揮するパワフルな波のあるゴールドコーストとハワイで、有名なサーファーが彼のボードに乗った。そしてアランは、1986年までゴールドコーストでサーフブランド、ホットスタッフのためにシェーピングを行い、その後バーニングスピアーズを立ち上げ、チャンネルボトムに生涯を捧げた。(2013年にバイクの事故で他界)

1970年代の後半にはマーク・リチャードのツインフィンが大流行。フィル・バーンのファクトリーにいたブライアン・コンブスが1979年にクリンカーチャンネルというデザインを開発する。それはテールに近づくにつれてチャンネルが浅く消えるデザインで、グリップ力はその分少なくツインフィンの特性を失わないようになっている。(前述のとおりリトルウッドとコル・スミスもクリンカーチャンネルを開発していて、諸説ある)

1980年代、サイモン・アンダーソンが発明したスラスターが登場し、それによりチャンネルボトムはフェイドアウト。アラン・バーンとムレイ・バートンは、チャンネルにこだわり続けたが、シェーパーの大多数は、3枚のフィンには十分なホールド性があり、チャンネルをボトムに施すとグリップが強すぎてしまうと考えた。だがフィル・バーンはチャンネルをスラスターにも適合させ、ベリーチャンネルを開発。ベリーチャンネル、はスロットが4本で70年代のチャンネルより浅く短かい傾向があるが詳細は不明。(同じサーフボードデザインでも呼び名が違うことがよくある)

1983年にはトム・カレンがベリーチャンネルのスラスターでツアーに参戦。その年はトム・キャロルが世界チャンピオンとなったが、彼もフィル・バーンのベリーチャンネルに乗っていた。2人のベストサーファーが乗ったことによってベリーチャンネルはその時代を席巻する。シングルフィンからツインフィンそしてトライフィンと、三世代にわたってチャンネルボトムは時代を生き、有効性を証明した。

だが、90年代が迫ったころに、コンケープがチャンネルボトムに代わって普及する。その特性はチャンネルボトムと似ているが、決定的な違いはコンケープの製造がチャンネルに比べて容易だったことだ。マシンシェープによる大量生産の時代が幕明けて、チャンネルボトムは少数派となっていったが、アラン・バーンのバーニングスピアーズは、ハワイのようなパワフルな波のエリアで支持を受け続けた。

映画「サーチ」でトム・カレンが乗ったのは5’7”(写真右上)のハイドロチャンネルでシェーパーはトミー・パターソン。(写真左のカバーは6’10”で同日のセッション)。ハイドロチャンネルのオリジナルはフィル・メイヤー https://www.swellnet.com/news/design-outline

さて、90年代には、トム・カレンがトミー・パターソンのファイアーボールフィッシュというチャンネルボトムでインドネシアのバワのビッグウェーブをサーフして話題になったことがあった。

コル・スミスとフィル・メイヤーの出会いによってもさまざまなボトムデザインが生まれた Phil Myer and his original hydro channel bottom phil@philmyerssurf.com

これはリップカールが製作した映画「サーチ」に登場している。テールデザインはフィッシュで、その後のフィッシュテールがリバイバルするきっかけともなった。しかしこのボードはフィッシュといってもトライフィンで、チャンネルのデザインは、フィル・メイヤーズが1981年に開発したハイドロチャンネルに酷似している。

21世紀になってもチャンネルボトムはソフィフィスティケートしながら生き続けている Cannel bottom is never fadeout simonandersonsurfboards.com

2000年以後になり、新世代のシェーパーが台頭し、サーフボードのショート化に着手し、それまでの常識より6~8インチはボードが短くなっていく。その短さを補うためにチャンネルが再び注目されるようになった。「チャンネルボトムは波が大きくなってもコントロール性を維持できる」とダニエル・トムソンはいう。「それはフィンのような役目を果たし、レールのエッジワークも必要としない」さらにサーフボードの市場では、シングルフィンやツインフィンがリバイバルし、それらの安定性を向上するためにもチャンネルボトムが採用されている。

チャンネルボトムだけでなく、サーフボードデザインには、どれ一つをとってもシェーパーやサーファーの情熱から生まれたものばかりだ。大企業の研究室で作られたものなど一つも存在しない。
その誕生の裏側には、デディケートしたサーファーたちの群像ドラマがかならず存在することを、われわれサーファーは忘れてはならない。

(李リョウ)

Reference:
crowsgarage.com
phil@philmyerssurf.com
https://www.swellnet.com/news/design-outline
https://simonandersonsurfboards.com/2018/02/06/north-coast-vee/
https://www.thesurfboardproject.com/master-shaper-phil-meyers-on-the-channel-bottom/
http://www.deltadesigns.com.au/products/surfboards/

Special thanks to Geoff “Crow” Moore and Phil Myers

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