(五十嵐カノア) PHOTO: © WSL/Miers

「日本人の国民性とサーフィン競技の相性は?」- F+

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質問:先のブラジル人の台頭の背景の回でユキさんは日本人の国民性の問題をあげていましたが、五十嵐カノア選手や和井田理央選手のように、世界のトップで活躍しているケースもあり、それだけではない何かも考えられるのではないでしょうか?

当然国民性だけではない何か、がたくさんあるとは思う。ただ、五十嵐カノアと和井田理央に関しては、DNA的には100%と50%の日本人だけど、国民性という話になると、アメリカとインドネシアかな、と思う。
国民性というのはDNAとは違い後天的な要素で、教育や社会生活の中で身に着けていくもので、「和を以て貴しとなす(人と人が仲良く協調しあうことが何よりも尊い)」という、聖徳太子の定めた十七条憲法の第一条のような教えというのは、日本で育つ日本人の中に、子供の時から何かにつけて継続的に生涯にわたって刷り込まれてしまうものだ。

サーフィンという個人の演技競技で、対戦相手と同時に海に入って比較されて点数で争うという、ある意味超エゴ上等な世界では、これは致命的な教えともいえるのだけど、狭い国土の中にたくさんの人が肩を触れ合うようにして暮らしている日本では、この教えがないと社会がうまく回らない。
最近でこそ個性の尊重、多様性重視のような教育、社会方向にシフトしつつあり、1964年の東京オリンピックの頃とはまるで選手たちのメンタルや言動も変わってはいるけど、約60年かかってようやく今があるように、国民性というのは長い時間がないと変わらないし、変えなくてはならないものでもない。そして和、協調=悪ではないので、様々な場面で協調性というのは相変わらず重視される。個性と協調のバランスをどこで見つけるのかは結構難題だ。お米を集団で協力して作るムラ社会と、単独、あるいは少人数で狩りをする狩猟民族の違いも大きい。

(和井田理央) PHOTO: © WSL/Alan van Gysen

練習フィールドの環境もあるだろう。バリのようなところで毎日練習できたら上手くなるよな、と、バリを訪れたサーファーなら誰もが思うだろう。周囲を海に囲まれた日本ではあるけど、年間を通していい練習ができるいい波には恵まれていないと思う。オリンピック会場になった志田だって、日本ではプロを育てるサーフィン道場とか言われてるけど、昔来ていたCT選手に言わせれば、あぁ、あのクセのあるビーチブレイクね、という低い評価になる。そして私だってCTの試合でひどいコンディションに当たっても、たいていの場合は、まぁ志田よりましか、と思ったりする。

選手の育成プロジェクトも、サーフィンがオリンピック競技になったということで近年始まってはいるけど、それはあくまでもオリンピックのための強化選手ということであり、CT選手を生み出すために、とか選手全体の育成ということではなく、また、関係する団体の判断で様々なことが行われるので、ブラジルの行った、インダストリー、メディア、関連各団体、選手、コーチ、ジャッジ、その他の関係者など、多方面の人々の、パワーゲーム抜きのブレーンストーミングの中から生まれた「CT選手を生み出すのにはどうするか」というぶれないひとつの方向でもないので、日本をあげて世界に通用する選手を育てる、というのとはちょっと違うのかな、とも思う。

オリンピックという試合限定であれば、この先フランス(タヒチ)、ロサンゼルス、ブリスベンと決まっているので、会場になりそうなビーチに身体能力の高いキッズ住み込みでサーフィン英才教育、会場の波専門のサーファーを育てる、という考え方も極端ではあるけど、有効かもしれない。3年あれば選手は作れるし。
逆にそこのローカルで、日本人としてオリンピック出場可能な選手を探すか(笑)。

とにかくブラジルは30年前からありとあらゆる手を使ってCTに選手を送り込む努力をしてきたし、ルール、システムを逆手にとって、うまく自分たちに有利に使ったりもした。そしてそれらは次々とルール変更の名のもとに、ブラジルつぶし的な動きに阻まれた。それでも彼らはつぶれなかったし、次々と逆手を編み出して、今がある。

「和を以て貴しとなす」だとね、ルールやシステムは逆手に取らないし、サーフィン業界では伝統的に各方面のパワーゲームが忙しくて、和にならないから、個性も協調もないだろうなぁ(笑)。

F+編集長つのだゆき

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