今シーズン、日本とオーストラリアの2国旗を付けてCT出場していたコナー・オレアリー PHOTO: © WSL/Dunbar

「サッカー少年だったコナー・オレアリーが、猛スピードでCT選手になれた訳」- F+

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質問、楽でいいなぁ、と思ってたんだけど、たまり始めるとあっという間にたまるもんで、それはそれで追われる感があり、久しぶりに締め切りの恐怖感を味わっている。
でも何書こうかなぁ、と考えるよりはだいぶ楽なわけだけど。締め切りなんて最悪ぶっちぎればいいし(笑)。

●質問
コナー・オレアリーがフランスのチャレンジャーシリーズで優勝し、リクオリファイが濃厚になってきました。ユキさんはコナーが幼い頃から彼のことを知っていると思いますが、コナーはどんな人なのかを詳しく教えて下さい。

CSフランス戦で優勝したコナー・オレアリー Photo: © WSL/Masurel

え~、生まれる前から知ってるけど、本当に普通の人です。でかいけど。
お母さんの柄沢明美とは、もう40年近く前からの知り合いで、まだ私がこの仕事をする前、プロサーファーになりたくて湘南の辻堂、鵠沼あたりでブイブイ言わせてた頃のチームメイト。私はその後コンペに挫折して、取材する側に回り、明美ちゃんはJPSAのグラチャンになった。

その当時から交際していたお父さんのフィンバーはビッグウエイバーのトリップサーファーで、本格的なサーフィンをするオーストラリア人。その二人が結婚して新居のオーストラリア、クナラビーチで生まれたのがコナーだ。まぁ、そういう環境でサーフィンをしない、という道も許されないわけだけど、子供のころからサーフィン漬けだったわけではないし、サーフィンを本格的に始めたのは高校生ぐらいだったんじゃないだろうか。

柄沢明美さんとコナー Photo: snowy

明美ちゃんは世話好きなおっかさんで、オーストラリアの試合に行く日本のプロ、トップアマ、関係者は、何世代にもわたってみんなお世話になっていると思う。一年中誰か日本の選手、あるいはサーフィン関係者が滞在しているという家庭環境に育ったコナーだけど、中学生まではずっとサッカー少年だった。

幼少期はとてもシャイで、おとなしいマミーズボーイというか、ママ強すぎというか、とにかくおとなしいいい子だった。もちろんそういう環境なので、両親も、その友人もみんなコナーをサーフィンに誘ったりするのだが、本人はいつも断っていたのを記憶している。両親も無理強いすることもなく、ともすればサーフィン漬けになる環境にありながら、マイペースでサッカー少年の時代を過ごした。

とはいえ、クナラビーチまで歩いていける環境なので、まったくサーフィンしないというほうが不自然。だからたまにはやっていたんだと思うが、決してのめり込んではいなかった。

高校生ぐらいになって、ローカルの小さな試合に家族で出場したときに、負けはしたもののコンペの楽しさに目覚めてから、本格的にコンペティターとして歩き始めた。それからが猛スピード(笑)。フルで10000イベントに出られるようになって2シーズン目にクオリファイだったと思う。QSに出始めてわずか3~4年ぐらいの出来事だったと記憶している。200番、60番、13番、1番みたいな感じ。なので、コナーにはジュニア時代の戦績のようなものはほとんどない。エリートたちが持っているものは何ひとつ持っていなかったといえる。

子供時代は小柄で細くて、華奢な感じだったけど、サーフィンにのめり込むようになった年齢になると、一気に身長が伸び、長身の父フィンバーを追い越すほどになった。そしてトレーニングも始めたので、身体もみるみる大きくなった。

その間も同じように日本のプロやトップアマはオレアリー家に滞在していたが、サーフィンの実力はコナーに追いつかれ、追い越され、手が届かないところに置いて行かれた。

左から2番目が父フィンバー、その右が母明美、右から4番目の白シャツが少年時代のコナー Photo: snowy

トレーニングを始めたころ、よく、もっとみんなパンプ(体を鍛えて大きくすること)しなくちゃだめだよ、と言っていたのを覚えている。
父のフィンバーは一貫して大きなターン、大きなサーフィンをするように指導し、母の明美は積極的な試合をすることを強く要求した。ホント、波に乗らないと叱られたレベル(笑)。
私はコナー・オレアリーのサーフィンでの成功は、父フィンバーのサーフィンを見る目の鋭さ、正確さにあると思っている。もちろん母明美のトップコンペティターとしての真面目さ、強さの影響もあるけど。

あぁ、あともうひとつ絶対に忘れちゃいけないのは、日本の元女子プロからなる応援団か。チームパルコレディースを中心に、日本の女子シーンを作り上げた明美の女子プロサーファー仲間たち。国内のみならず世界に散らばる軍団で、ここは強烈。日本では湘南の焼き肉屋界隈を会議室にする肉食系女子たちだな(笑)。純烈の追っかけかコナー応援団オバサンか、というノリ。コナーからすれば、母親の友人なわけだけど、この人たちはみんな自分が生んだ息子のようにコナーの成長に絡んできただけに、思い入れはマックスで、時差も国境も何のそのの応援を繰り広げる。
コナー本人はことあるごとに、俺オージーだし、と一貫してオーストラリア人なのだが、応援団のオバサンたちはみんな、自分の息子だと思っているので、コナーはさぞかし大変だろうと思う。

とにかく、そうやって日本人トップサーファーがいつも身近にいる環境で、彼らにサーフィンを教わっていた少年があっという間にCT選手になったという話なわけで、つくづくサーフィンというのは子供の時からどうこう、ではないんだな、と思う。
日本でQSの試合があれば日本人選手たちとも旧知の仲。日本語もサーファー同士で話して覚えた生きた日本語なので、「ソンナノ、チョーダサイジャン」、とかって感じで、笑ってしまう。確か学校に行く前までのファーストランゲージは日本語だったと思う。フィンバーが日本語が話せたし、明美がまだ英語が不得手だったので、子供時代のコナーは日本語だった。これも、英語は幼児の時からどうこう、ではないという証明。

ちょっと前に日本の問題点は、ジュニアの育成ではなく、ジュニアからシニアへのトランジションの問題だと指摘したが、コナー・オレアリーという選手はトランジションの部分から先だけで成功した選手といえる。

F+編集長つのだゆき

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