ツインからトライへ。マルチフィンが紡いだ進化の系譜
今さらだけど、世界的にツインフィンのブームが本格化している。かつてのような、先鋭化してしまったトライフィンのオルタナティブ(代用品)としてではなく、一つの完成されたスタイルとして、その価値が改めて見直されているようだ。
まるで、脇役を演じてきた役者が、主役として輝きだした。そんな雰囲気を実感しているのは筆者だけではないはず。このブームが続いたら、WSLでもツインフィンで戦う選手が現れるかも…いや将来レギュレーションとして規定される可能性だってある、と言ったら笑われるかもしれないけれど。
今回は、そのツインフィンのデザインに革命をもたらした「原点」の一つに光を当てたい。それは、マーク・リチャーズとMRと呼ばれるデザインだ。
近年は「MRタイプ」といえばフィンの規格として定着しているが、若い世代には「それって人の名前?」と問われるほど世代の交代は進んだ感が強い。そこで、今回はサーフボードデザインに多大な影響を及ぼしたスーパーレジェンド、マーク・リチャーズの足跡と、トライフィン誕生へと繋がる数奇な関係性を紐解いてみようと思う。

克服すべき「体重」と「小波」が革命を起こした
1957年、オーストラリアのニューカッスルに生まれたMRことマーク・リチャーズは、子供の頃から海に親しむ家庭に育った。幼少期にその才能はすでに芽生えており、3才のときにはエアーマットに立ち上がって波に乗っていた。
MRは、1973年に16才でオーストラリア・ジュニア王者に輝く。サーフィンの才能は誰が見ても明らかだったが、当時はまだプロ組織が存在しない時代。そこで彼はボードビルダーとして将来の道を模索し、名匠ジェフ・マッコイのもとでシェイピングを学んだ。
彼の人生の転機は1976年に起こる。世界初のプロツアー「IPS」の創立だ。意気揚々とツアーに参戦したMRだったが、一つの壁に直面する。それは「スモールウェイブでの試合」だ。コンテストのスケジュールは決まっていて、波が上がるまで試合を待つということは、当時は考えられなかった。80kg近い体重があった彼にとって、シングルフィンのサーフボードで小波をサーフするには、体が重すぎてターンが思うようにできないというハンデが立ちはだかった。そのためにベン・アイパが考案したスティングを試すなど、試行錯誤をしていたが、運命の出会いが訪れる。

宿命のツインフィン、そしてブルーワーへの弟子入り
1976年、ハワイのレジェンド、リノ・アベリラが試合のためにオーストラリアへやってきたとき、彼は5’3”という短く奇妙な形のサーフボードを携えていた。初めて見たツインフィンにインスピレーションを感じたMRは、自ら製作に着手しバンブルビーと名付けたツインフィンを完成させた。
サンディエゴフィッシュの系譜を受け継いでいたと思われるそのボードは、ターン性能は劇的に向上したが、波のサイズが上がるとコントロールを失うという新たな課題が浮き彫りになった。
その問題が解決しないまま、彼はハワイに長期滞在をし、サーフボードシェーピングの頂点に君臨していたディック・ブルーワーに弟子入りする(父の薦めもあり、MRは講習料を支払った)。シェイプを学びながら、彼はツインフィンの問題点をブルーワーに打ち明ける。ブルーワーの答えは明快だった。「シングルとツインの中間をデザインすればいい」。
その教えを具現化したのが、1978年のベルズで初優勝を飾った6’4”のツインフィンだ。彼は自ら製作したサーフボードの印象を「頭の中で描いたとおりにサーフィンができた」と表現した。ついに彼の快進撃がスタートし、翌1979年に最初の世界チャンピオンの座を手にする。当時流行した映画になぞらえた「ツインフィンフィーバー」の熱狂が幕を開けたのだった。この興奮は瞬く間に世界に広がり、サーファーやビルダーがMRタイプのデザインをコピーし、彼の背中を追いかけるようになった。

(上)はおそらくシングルかトライフィンのセットアップと思われるセミガン。
どちらも映画「フリーライド」に登場したボードのレプリカと思われる(写真: instagram,com/markrichardssurfboards/)
サイモン・アンダーソン:「ツインとトライの兄弟関係」
一方で、MRと同じ悩みを抱える男がいた。シドニー出身、90kgの巨漢サイモン・アンダーソンだ。屈指のパワーサーファーだったサイモンは、MRのツインフィンではそのパワーを制御できず、スピンアウトしてしまうためにシングルフィンを使っていた。
1980年、友人のツインフィンに、小さなスタビライザーが付いているのをサイモンは発見する。そこからヒントを得た彼は、3枚の同サイズのフィンを備えた「トライフィン(スラスター)」を考案することになる。
トライフィンの卓越した性能については、ここで改めて語る必要はないだろう。しかし我々が認識を改めなければならないのは、このトライフィンの誕生は、MRが開発したツインフィンがあってこそ到達したという事実だ。いわばトライフィンはMRツインの発展型で、二人のマスターシェイパーによる大胆なアップデートだった。二つのデザインは奇しくも「兄弟」のような関係でサーフィンの歴史に足跡を残した、という見方ができるのではないだろうか。

最近はチャンネルボトムや、センターにスタビライザーがついたモデルがアップデートされている(写真: instagram,com/markrichardssurfboards/)
過去の復興と、再定義される「レトロ」
90年代以降、扱いにくくなったショートボードへの反動として、かつてのデザインを見直す動きが始まった。いわゆる「レトロ」のムーブメントである。レトロフィッシュなどの楽しさが再発見されるなか、過去のデザインと思われていたMRのツインフィンにも再び光が当たった。「『昔のMRにまた乗りたい』という注文が増えてきたんだ」とはマーク・リチャーズ本人の言葉だ。
現在の「MRタイプ」は、当時のクラシックなデザインを継承しつつも、最新のチャンネルやスタビライザーを盛り込み、常にアップデートを続けている。それは単なる懐古趣味ではなく、過去のデザインを現代のサーフィンに最適化させる「再定義」と言えるだろう。
サーフボードデザインの革新だけでなく、プロコンテストにおいても21勝という金字塔を打ち立てたMR。彼の輝かしい戦績を振り返れば、その強さが、「ツインフィンだから勝てた」という疑念が払拭され、サーフボードデザインへの深い洞察に基づいていたことが、理解できるはずだ。彼の貢献が無くしては、現在サーフボードデザインの主流となったフィンのマルチ化や、ツインフィンフィーバーの再燃を語ることはできない。

(写真: instagram,com/markrichardssurfboards/、Mark Richards A surfing legend by David Knox)
マーク・リチャーズ(MR)主要戦績
世界チャンピオン(4年連続): 1979 – 1982年
ハワイのビッグゥエイブでの勝利
1975年:スミノフ・プロ(ワイメア) ※シングルフィン
1976年:ワールドカップ(サンセット) ※シングルフィン
1979年:デューク・カハナモク・インビテーショナル(サンセット) ※シングルフィン
1980年:パイプライン・マスターズ ※シングル
1985・86年:ビラボン・プロ(ハワイ) 2年連続優勝 ※トライフィン
参考資料)
Mark Richards A surfing legend by David Knox
サーファーズジャーナル日本版8-2 それぞれの意見:鋭角 現代のツインフィン事情instagram/markrichardssurfboards
(李リョウ)














