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カイポ・ハキアス、インタビュー
-プロサーファーとして生きること-

シリーズ「サーフィン新世紀」⑥

ステューシーからスポンサードを受けていたことでも知られるカイポ・ハキアス。
これは1994年の米国サーファー誌に掲載されたインタビューで、古いと感じる読者もいるかもしれない。しかしその内容は彼の生い立ちや、彼流のツアーで生き抜くやり方とプロを目指すサーファーにも良いヒントになると思って掲載に踏み切った。御一読いただければ幸いです。


マット・ワショーによるこのカイポ・ハキアスのインタビューは1993年に行われた。その一部は“Kauai Boy: Kaipo Jaquias” というタイトルで1994年5月号の米国サーファー誌に掲載された。当時ハキアスは22歳だった。

カウアイ島のイーストサイドで育ったの?

うん、レフイとハナマウルだよ。

その当時を話してくれる?

つまりゲットー(貧民街)だよ。僕はハワイアンのゲットー出身なんだ。僕が育った家は床に穴が空いていて土が見えた。そんな厳しい環境で育ったんだ。激しかった。父親はロコで、なんていうか、飲んだくれのクレイジーだね。彼は若くして父親になったんだ。

厳しい環境だったろうね。

ああ、でもそうでもないさ。僕にはビーチがあったからね。毎朝僕たちはビーチに行った。だからビーチは自分の家のような感じだった。子供たちは岩から飛び込んだり、茂みでかくれんぼしたり、筏(いかだ)や基地を作ったり、釣りや、蟹も捕まえたな。あのビーチの岩や木々すべてを僕は知ってるよ。海流も分かっているし、どこに魚がいるのかも知っている。だから退屈はしなかったよ。物心がつくまえから1日に10回くらいは海で泳いだものさ、昼飯のときだって飯を飲みこむより早く海に戻ったものさ。家族全員がビーチに集ったんだ。おばちゃんや従兄弟も一緒だと20~30人くらいいたこともある。

スポーツは好きだったの?

うん、スポーツは熱中した。ほとんどなんでもね。僕は競い合うのが好きで、ポップ・ワーナー・フットボールを3年。リトルリーグではセカンドを2年間守った。BMXは13歳以下のデビジョンでハワイ州3位になっている。でも15歳になって全部止めた。

どうして止めたの?

サーフィンに夢中になったんだ。でもそれまでの経験はサーフィンに生かされたよ。サーフィンの試合を始めたとき、僕はもう戦う準備が整っていたからね。BMXの試合ではいつも相手とポジションを競い合っていて、サーフィンと同じだったのさ。だからどうやってインサイドを攻めたらいいかとかもう分かっていた。相手の意図が読めたのさ。

高校は卒業したの?

うん、カウアイ・ハイスクール。

両親は若かったって言ったよね。

僕の母は15才で、父は16才だった。

家族の生計は?

親父はマリファナを栽培して売っていたんだ。

父親はどんな人?

名前はマルセリーノというけどみんなはマサと呼んでいた。彼はワイルド。マサはワイルドガイだ。でもいい奴。よく笑うし、根性もある。彼とケンカをしようとは誰も思わない。たぶんハイスクールでもヤバかったんじゃないかな。背が低くて、僕(約170cm)よりも低かった。でも売られたケンカは必ず買って負けることはなく、みんなそれを知っていた。クレイジーな何かが彼のなかにあって、それを僕も受け継いでいる。

父と子の関係はどうだったの?

僕は親父が嫌いだった。酒を飲んでマリファナを吸ってドラッグもやった。そんな父親が母親にどんなことをしたかも目撃しなければならなかった。僕は彼を怖がっていた。

サーフィンを始めたきっかけは父親?

父は無理やりサーフィンを押しつけてきたんだ。だから長いあいだサーフィンをしたいと思うようにはならなかった。たしかまだ10才くらいのとき、大きな波にパドルアウトして「これに乗れ、さあ行くんだ」ってけしかけたりしたんだよ。

そんな当時の思いを父親に話したことはあるの?

最近その話をしたんだ。彼は僕に才能があると見抜いていたからそうしたって言ったよ。なにを僕にしてきたか覚えているって言っていた。でも分からないな。変な話さ。だって彼は僕にサーフィンが嫌になるようなことをずっとしてきたんだ。でも僕がサーフィンをしたくなったのは父親より上手くなってやるって思うようになったからさ。
彼の口癖が、俺の方が、おまえよりサーフィンが上手いって言葉だった。僕はそれを聞いて彼を憎んだ。だから本気で上手くなってやろうと思ったんだ。

今は一緒にサーフィンをすることがあるの?

ときどきね。でもあんまりないかな。今日もね。10フィートあってパドルアウトして俺の方が上手いって叫ぶんだ。僕はそれで頭にくるんだ。だから一緒にサーフするたびに親父を驚かせてやるぜって思うんだ。

普段のつき合いはどんな感じ?

彼のことをいろいろな意味で理解するようになった。例えば、彼は若くして家庭を持ったからね。僕も子供を持つようになって、彼の心に秘めていたストレスを理解するようになった。だから父親を許せるようになったんだ。憎しみはなんの助けにもならないと僕は悟ったんだよ。だからマサに対する気持ちを変えたんだ。それに彼は爺さんになったことを幸せに感じている。それを上手く利用した。親父にこう言ってやった。「息子に悪ふざけをしたら2度と会わせなくするからな」親父はカイマナを愛してから変わったね。良い爺さんになろうとしてる。
(カイポの息子はカイマナ・ハキアス。このインタビューのときは生後9ヶ月)

君は父親になってツアーで戦うのはたいへんだと思うようになった?

むしろある意味、楽になったかな。モチベーションが高くなったからね。家族のために戦うんだから。僕にとって父親としての役目を果たすってことは、サーフィンで良い結果を出して金を稼ぎ、家やいろいろなものを買う。家族のために稼がなきゃあいけない。やるしかないって感じだ。ワールドツアーはビジネスだから、旅行して、いろいろなサーフスポットを転戦して、でもほとんどどこも波が良くないときてる。

本当の気持ちは、試合は好きじゃあない?

(沈黙)わからないな。本当はね。でもときどき。嫌いなときと好きなときがある。

子供の頃にプロサーファーになる夢はあったの?

無いね。プロになるなんて考えたことなかった。ビデオを見て彼らみたいに上手くなれたらなあ、とは思ったけど。そしたらある日できるような気持ちが湧いてきて挑戦したんだ。でも子供の頃はそんな大きな夢は持っていなかったよ、いま僕がしているような生活は考えられなかった。

ツアーの改善について意見はある?もしできるとしたら?

ツアーはスポンサーの都合で成り立っている。サーファーじゃなくてね。コンテストを見てごらんよ、コンテストの波は最悪だ。最も良い方法は、波の良いところで良い波を待って開催することだよ。テレビ中継に重点を置いて海に見物人を集めることは考えない。

Photo: Romeml Gonzales/ISA
サニー・ガルシアと健闘を称えあうカイポ・ハキアス

昨年はサニー・ガルシアといくつかの試合を周ってたね。

(笑)うん、おかげでちょっとあいつに似てきちゃった。あいつも僕に似てきたね。お互い良く知るようになった。僕たちは同じような境遇で育った。彼も子供の頃は厳しい環境だった。

でも君たちは全く違うと思うけどね。

それは僕の境遇が古い村社会で、サニーの境遇はストリート(スラム)だったから。彼の中にはまだそれが残っていてクレイジーなんだ。僕にはそれがなくてメローなんだ。でもサニーは僕に一目置いている。僕を怒らせたら面倒だってことを知ってるんだ。

サニーは試合の間はあまりサーフしないだろう?他の選手と違って。

ここでもそうだよ。僕ももっと練習をしたらもっと良い選手になれるかも。でもサニーも僕も練習しないんだ。それが悪いやりかただとは思わない。試合って普通のサーフィンじゃあないんだ。選手は試合に臨むまでのアプローチの仕方がそれぞれあってね。練習で燃え尽きるっていうやり方はしない。むしろ練習はしないんだ。練習を一杯するとストレスが余計に溜まるんだよ。余分なプレッシャーを抱えてしまうのさ。それは例えれば「オーケーこんなにたくさん練習をしたんだから明日はぜったい負けられない」でも負けたらどうする?世界の終わりだ。僕の練習は、まあこんなところかな、で十分にしておく、サニーも同じ。

Photo: Romeml Gonzales/ISA
プロを引退後にISAのコンテストに参加

試合の合間にはどのくらいサーフィンをするの?

旅行中は一週間に計5時間くらいかな。一回に半時間ほどしかしない。でも海に入ったらハードにパドルをして、短時間に波をたくさん乗りながら気持ちが「これでいい」ってなるまで続ける。それで海から上がる。ニッキー・ウッドも同じ。サニーもね。僕たち3人はあんまりサーフしないんだ。

李リョウ

Reference:https://eos.surf/roar/entry/kaipo-jaquias2/

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