(田嶋鉄兵、2008年)Photo by snowy

志田界隈の16年の変化

F+(エフプラス)

お題は田嶋鉄兵ではない。たまたま田嶋鉄兵プロの広告撮影の写真に興味深い風景が写っていたので、採用。
書くことなくて、例のコラム関連フォルダをひっくり返していて発見した。たぶん今から書くようなことを書くつもりでここに入れたのだろうけど、例によって例のごとく、何を書こうと思っていたのかはわからないし、まさに同じことをどこかで書いているかもしれない。自己管理能力ゼロ。

田嶋プロとは昔から縁があって、JPSAのグラチャンを取った年には一緒に旅もしたし、コーチもした。あ、これ2008年だから、その年だな。
このテトラびっしりの海岸はどこかというと、2008年の志田界隈だ。人が少ないので志田トラか。デロリアンでたどり着いたら、まさかここ志田? みたいな感じだ。
画面左下にちょっぴり砂浜が見えるけど、テトラ1個分ぐらい埋まっている感じなので、テトラ投入当時はもっと高く積まれていたと思うし、そういう記憶はある。積まれたテトラの上からは飛び降りたりできない高さだったと思う。後ろに見える波は今とそう変わらない、冬の志田の波。

で、16年後の今、このテトラは遺跡のごとく砂浜に埋もれているわけです。ちょこちょこ頭を出しているテトラを発掘すると、こういうことになります。
すごくないですか? たった16年でこんなに砂浜上がっちゃうんですよ。

(2008年当時、海岸に抜ける小道の先には海が見えた)Photo by snowy

そしてもう一枚は志田トラに抜ける道。そう、防潮堤(津波よけ)ができる前は道路から海が見えたんですね。なんかいいですよね、小道の先に海。
で、今は土手ができているので海は見えず、階段が見えるのみだけど、この土手も部分的に浸食されてて、すでに一部波によって削られつつあり、満潮時に波がでかいと土手を越えている個所がいくつかある。
結局人間の知恵なんて、自然の力には遠く及ばないんだということを思い知らされる。

小道の左右の松林は防砂林なんだけど、たぶん10年とか15年とかに一度総植え替えとかしている。まだ防砂林として問題なく使えそうな松林もみんな刈られて一から植え直し。あの海岸エリアは県の管理下にあるので、10年スパンで土木工事屋さんや植木屋さんに千葉県からお金が流れる仕組みですね。まぁ、そういう利権がらみのシステムや雇用でこの国は動いているので、それも必要悪ではあるのかもしれないとは思うものの、なんか無駄かなぁと思うし、実害として、松大きくならないと砂飛んでくるし。

改めてこういう写真を見ると、どれだけあの辺が変わってしまっているのかを再認識させられる。繰り返しますが、たった16年ですよ。今中高生のジュニア選手たちが30歳になるころには、あとテトラ2個分埋まっちゃうわけですよ。
どう開発して人を呼び、盛り上げるかとかではなく、今あるものをどれだけ残せるかを考えるほうが正しいと思う。レガシーなんて幻想。
ま、それ考えた末のテトラであり、防潮堤であり、松林管理でありなんだろうけど、自然と戦う方法ではなく、共存する方法にしか解決案はないと思う。だって、人間も自然の一部であり、すでに自然を止める戦いでは敗北してるわけだから。

F+編集長つのだゆき

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