Surfer Magazine Jan 1970 Vol.10 No.6 Photo:MacGillivray/Freeman

ディスプレースメントハルの達人。サーフレジェンド、マーク・マーティンソン逝く

21世紀に入ってすでに20年以上が経過した。時代の移り変わりといえばそれまでかもしれないが、近代サーフィン の礎を積み上げてきたレジェンドの訃報が続いている。60年代から70年代初頭のカリフォルニアを知るサーファーにとっては馴染みの深いサーフレジェンド、マーク・マーティンソンがこの世を去った。彼の死を悼んで多くのサーファーがSNSにお悔やみのメッセージを投稿している。

『愛してるぜ、マーク・マーティンソン!
パイプラインへサイクリングするときに、君に会えなくなるのが寂しいよ……これからはジーニーの様子を必ず見ると約束するし、この地球で結んだ君との友情は永遠だと誓う!人生を卒業し神秘の世界へ旅立つ君へ、永遠の愛と敬意を込めて!』ジョエル・チューダー

サーフィンの若い世代には彼の名を知らない人は多いだろう、しかし60年代にショートボード革命というトランジションが起きたことは誰でも知るところだ。マーク・マーティンソンはその混沌とした時代に、ロングでもショートでも活躍したサーファーの一人。じつを言うとその当時はサーフボードのショート化の波に上手く乗れないロングボーダーが続出しフェイドアウトしていったのだ。しかしマーティンソンはむしろその革命を歓迎し、パワーサーフィンというスタイルを波の上で表現することに成功する。

さらに彼の溢れる才能はサーフボードビルダーとしても花が開く、老舗であるハーバーサーフボードや、映画「エンドレスサマー」の主役としても知られるロバート・オーガストのブランドからシグネチャーモデルを発表するまでに至り、多くのサーファーからの支持を得た。

マーク・マーティンソンは、1947年にカリフォルニアのロングビーチに生まれた。父親は車のメカニックでストックレーシングカーのレーサーだった。サーフィンを始めたのは10才のときで、その6年後には1962年にウエストコースト・チャンピオンシップで2位に入賞する。そして1964年には全米インビテーショナルで優勝、そして1965年には全米チャンピオンシップのタイトルを手に入れる。全米を制したマーティンソンは新しいスターとして活躍を期待されていたが、そんな彼のところにある一通の手紙が届く。それはベトナムと戦争中だったアメリカ政府からの徴兵通知であった。

サーフウェアの先駆けであるハンテンの広告 出典:Surfer Magazine

その手紙は、マーティンソンが1965年にペルーで開催されたワールドチャンピオンシップに出場して不本意な成績のままに帰国してきたときだった。徴兵を逃れようと、マーティンソンは住所も電話番号も持たない生活を続けることになり、人目を避けて試合にも参加しなくなる。事実上の徴兵拒否であったが、かといって彼は雲隠れしているわけではなかった。

1965年から1969年にかけて彼はその多くの時間を映画製作者のマクギバリィ/フリーマンとともに撮影のためにペルー、ブラジル、アルゼンチン、フランス、スペイン、ポルトガル、ハワイなど海外へ出かけていた。つまり住所不定の状態でサーフメディアには登場していたのである。出演した映画には『Free and Easy』(1967年)と『Waves of Change』(1970年)がある。(ちなみに1999年の『Art of Longboard2』にもマーティンソンは出演している)やがて1971年になってようやく連邦捜査官はマーティンソンを捕らえることに成功するが、喘息持ちだったために3週間で兵役訓練から外されてしまう。

そのような事情もあり、マーティンソンはメジャーコンテストで結果を残すことができなかった。しかしロングボードからショートサーフボードへのトランジションに完全に適応したサーファーの一人として、60年代後半にはサーフィンのピークを迎え、フリーサーフィンでその才能を開花させた。

低いポジションでパワフルにライディングするマーティンソンは、ハワイのサンセット・ビーチなどで活躍しメディアにも登場するようになった。サーフィンのテクニカルな面から考察すれば、サーファー誌のカバーになった写真を見れば理解できるが、その卓越したテクニックは目を見張るものがある。シングルフィンのショートボードを操ってフルレールでボトムターンし、なんとノーズが水中に没している。

特筆すべきはそのサーフボードだ。ショートボードとはいうものの、レール形状やボトムデザインはまだロングボードの名残を引きずっていると言わざるを得ないオールドスタイルで、いわばディスプレースメントハル。そのハルでこのサイズの波をボトムターンと考えると、そのパワードライブは現在のサーフシーンにおいても再評価されるに値する。

出典:surfingwalkoffame.com Photo by Leo Hetzel

プライベートな生活では、1973年から1992年までは漁師として生活の糧を得てサーフィンの世界からは遠ざかったマーティンソンだが、再び彼にスポットライトが当てられることになる。それは90年代に起こったロングボードのリバイバルだ。ハンティントン・ビーチのロバート・オーガスト・サーフボードでロングボードのシグネチャーモデルを発表しブレイクする。2009年、マーティンソンはハンティントン・ビーチ・サーフィン・ウォーク・オブ・フェームの殿堂入りを果たした。晩年はオアフ島のノースショアに自宅を構えて妻ジーニー・マーティンソンとともに静かな暮らしを送っていた。

(追記、マーク・マーティンソン氏は2023年11月に亡くなられましたが、正確な命日と死因は明らかではありません。享年は76歳です。故人の冥福を心よりお祈り申し上げます)

全盛期のマーティンソンのサーフィンが垣間見えるフッテージ
『Stop the wave I want  to get off』より (1965)
往年のパワーサーフィンを彷彿させるマーティンソンのサーフィンはこちら
『Art of Longbording 2』by Toshi Izawa /George Cockle

(李リョウ)

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