『Storm Riders』
『The Green Iguana』
『Occumentary』
『Billabong Challenge』
『Blue Horizon』etc…
数々の名作を創ったサーフムービー界の巨匠、ジャック・マッコイが76歳で逝去。
彼はそれまでのサーフムービーに欠けていた水中ショットの新しいジャンルを切り拓いた存在で、彼が開拓した水中撮影の手法は今の主流となっている。
陸からとは異なる、サーファーと同じ目線の視点は当時非常に斬新で高い芸術性を誇っていた。
特に「BILLABONG」のサーファーと仕事をすることが多く、中でもオッキーことマーク・オクルーポとは、ツアーに復帰する姿を追ったオキュメンタリーというドキュメンタリー作品を制作。
オッキーも自身のInstagramで追悼のポストをしている。
“僕のサーフィン人生はほぼ全て彼のおかげだ。もし彼がいなかったら、何も知らずに過ごしていたかもしれない。西オーストラリアでの復帰もジャックと一緒だったし、ずっと言っているけど、彼がいなければ世界タイトルは手に入らなかったと思う。
彼は完璧主義者で、サーフムービー制作という芸術の形は本当にすごかった。彼の作品を一本観れば、ずっとサーフィンにワクワクし続けられるはずだ。
ケリー、インディ、クープへ、愛してるよ。彼のような人は二度と現れないだろう。
アロハ、ジャック。君はずっと僕のそばにいるよ。”
ドリームツアー誕生のきっかけを作ったジャック
ロス生まれのジャックはラジオやテレビ番組の司会者を父に持ち、1950年代に家族でオアフ島へ移住。
ジェリー・ロペスと同世代で1960年代後半の革新的なノースショアを経験。
1970年代にはオーストラリアでベトナム戦争の徴兵を回避したというエピソードもある。
ブルース・ブラウンの「エンドレスサマー」などに影響され、1976年にはディック・フールとラリー・バーテルマン、ラビット・バーソロミューなどを撮影した初の長編作品『(In Search Of) Tubular Swells』をリリースする。
その後も世界各地を巡り高評価を得る作品を制作。
中でも西オーストラリアのシークレットで撮影したコンテスト『Billabong Challenge』はサメが日常的にいる自然が残された海で人知れず割れるパーフェクトな波が強烈な印象を残し、CTをドリームツアーにしたきっかけを作ったとも言われている。
近年はビートルズのポール・マッカートニーと組んだ映像が話題に。
また、2024年は『Occumentary』、2025年は『Blue Horizon』のリマスター版を引っさげて上映ツアーも行われ、亡くなる直前まで『Blue Horizon』の出演者であるラスタと共にオーストラリアを巡っていた。
上映会の場では、ジャックが「ラインナップでは優しくあれ。波を分かち合い、兄弟姉妹を愛そう」と語っていたというエピソードも残っている。
彼の愛にあふれた映像は、これからも多くのサーファーやフィルマーに影響を与え続けることだろう。
(染谷たかし)