Image: SURFER(YouTube)

和井田理央の物語

米サーフメイディアの「SURFER」が和井田理央のニュームービーを公開。

本作は、リオがブランドアンバサダーを務めるインドネシアの老舗ラム酒ブランド「ヌサ・カナ」が制作したショートフィルムで、映像作家のマット・ジョージとファビアン・フォン・ホルゼンを起用。

現代のサーフメディアとは一線を画す独自のビジョンから生まれたコラボレーションが実現した。

作品では、リオのサーフィンだけではなく、豊かな波に恵まれる一方で独自の文化や政治背景を持つインドネシアという国で育った彼が、現在の地位に至るまでに直面してきた試練や人生が描かれている。

” オリンピックスタジアムに入場したとき、まるで雲の上を歩いているような気分だった。
でも同時に、インドネシアという国の重みが肩にのしかかっているのも感じた。

そして、ただ胸を張って立ち、誇りに涙しないよう必死にこらえていた。

インドネシア代表は28名。2人の旗手のうちの1人が、私、リオ・ワイダ。
埼玉県生まれ。父はインドネシア人、母は日本人。
私にとっても、競技としてのサーフィンにとっても、オリンピックは初めてだった。

私は知っている。過去の“精神”を未来へ運ばなければならない。
自分の闘いの精神、家族の精神、夢の精神、島の精神、国の精神。
絶対に諦めてはいけない。

幼い頃、母に「世界チャンピオンになれる」と告げた。
当時の私は体の成長が遅く、体も骨も小さかった。
女子たちに笑われ、いじめられ、喧嘩しても相手の方が大きくて勝てなかった。
制服はいつも合わず、レストランに行けば子供メニューを渡された。
本当に辛かったし、母も胸を痛めていた。

そんなとき母は、リオネル・メッシのドキュメンタリーを見た。
小さかったメッシは成長ホルモン治療を受け、世界のトップ選手になった。
母は「息子にも同じチャンスを与えよう」と決めた。

でも私たちは裕福ではなかった。
治療はとても高額だった。
だから父はバリを離れ、東京の大きなビルの建設現場で働くことにした。
年齢的にも楽な仕事ではないし、日本は労働に厳しい。
母も働き、家族全員で支え合った。
簡単ではなかった。でも、失敗しなかった。

成長ホルモン治療が成功したことに心から感謝している。
今度は私が、犠牲を払って支えてくれた家族を守る番だ。
母も父も弟も、“生き抜く”だけではなく、“人生を楽しむ”べきだ。
それが、毎日の私のモチベーションになっている。

ジムでのトレーニングに真剣なのはもちろん、
本当の強さはそれだけでは作れない。
自分がどこに属しているのか――それを忘れてはいけない。
だから旅の合間には必ず、故郷バリの自然とつながる時間をつくる。

ひとり海に出ると、島の“声”が聞こえる。
そして私は耳を傾ける。

すると心も体も別の力で満たされる。
それはいつも私の中にある力になる。
私はこの島と、この島の人々を愛している。
だから世界のどこに行っても、自信を持って戦える。”

(染谷たかし)

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