ブラジリアン・ストームの第1世代の一員として長いキャリアを持つアレホ・ムニーツが2026年CTシーズンの開幕を前に今シーズン限りの引退を表明した。
アレホは2011年にCT入りを果たし、ルーキーシーズンを10位と当時のブラジリアンの中でも上位でデビューを果たした。

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特に印象的だったのは、2014年のパイプラインでの最終戦。タイトル争いをしていたケリー・スレーターをブザービーターで倒し、ガブリエル・メディナのブラジリアン初のワールドチャンピオン誕生に大きく貢献していた。
CTでの優勝経験はないが、QSでは2011年の『Hang Loose Pro』、2015年の『Burton Automotive Pro』、『Ballito Pro』とビッグスターで3つのタイトルを獲得。
エイドリアーノ・デ・ソウザのように派手さはないものの、玄人好みの堅実なサーファーとして愛されてきた。
「ブラジリアン・ストームの一員であったことを非常に誇りに思う。私の足跡は結果やパフォーマンスだけに基づいたものではなく、規律、献身、そしてプロフェッショナリズムに基づいていた。それこそが、私の息子に対しても含め、残したい手本だよ。決して諦めず、プロフェッショナルであり続け、規律を守ること」
怪我からの復活

2016年にランキング32位でCTから脱落した後、両膝の手術を含む深刻な怪我などもあり、8年間もQS、CSで返り咲きにチャレンジしていたアレホ。
ようやく実を結んだのは2024年のCS。オーストラリアで9位と2位。シーズン後半のポルトガルで3位、ブラジルで9位となり、ランキング4位で遂にクオリファイを達成した。
「もちろん、誰も怪我をしたいとは思わないが、実際には私のキャリアに美しさを加えていると考えている。それらは私を成長させ、より強くし、自分がどれほどサーフィンを愛しているかを教えてくれた。失っている時こそ、その価値を認めることを学ぶ時ななんだ」
「8年後にCTに戻ることは、真の夢だった。最初のクオリファイよりも、遥かに感情的になったね。2度の手術を経て、何度も門を叩きながら入れなかった。以前よりもずっと多くのものが私の肉体と精神に要求されたんだ。自分にまだ能力があることを自分自身に証明する必要があった」
復活後の壁

2025年、34歳で久々にCTの舞台に上がったアレホだったが、前半戦は17位が続き、ミッドシーズンカットの危機に直面した。
ゴールドコーストで3位に入り巻き返したものの、カットラインが決まる最終戦マーガレットリバーでは最下位の33位に終わる。自力での残留は叶わず、運命は他選手の結果に委ねられた。
最終的にハワイのイーマイカラニ・デヴォルトが敗退したことで、わずか275ポイント差でアレホのシーズン後半戦進出が確定した。
「言葉がない。この瞬間はただ神のことだけを考えている。私の人生で最も緊張した5日間であった。不安、悲しみ、幸福、そして感謝、あらゆる感情が一度に押し寄せた。この5日間、私は精神的な限界に達していた。もはや自分次第ではなく、神が何を望まれるか次第であった。いつも私を応援し、良いエネルギーを送ってくれるすべての人々に感謝したい。スポンサー、そして特に私の家族と友人に感謝する。君たちは最高だ。今は地に足をつけて、さらに努力する時だ。神に感謝」
サーフィンに捧げる人生

30年にわたりサーフィンスクールを経営する父を持ち、まさにサーフィン一家で育ったアレホ。
CTを引退しても、サーフィンに対する情熱が変わることはなく、すでに将来のビジョンは見えている。
「私にとってサーフィンはすべてだよ。生計、友情、機会を与え、想像もしなかった場所へ私を連れて行き、家族を与えてくれた。私はすべてをサーフィンに負っている」
「CTでの最後の一年を可能な限り最高の方法で楽しみ、できる限りプロフェッショナルでありたい。キャリアの後は、サーフトリップに出て、これまで競技することができなかった場所へ行き、そしておそらく自分が学んだすべてのことを次世代へと伝えたい。アスリートの側に誰かがいることがいかに重要であるかを私は知っている」
(黒本人志)














