アメリカ帰国中のケリー・スレーターがロサンゼルスを拠点とするテレビ局KCAL-TVが提供するニュース番組「KCAL News」に出演してインタビューに答えた。
1990年、18歳だったケリーが「Quiksilver」との契約直後に始めてプロとして始めて優勝したのがトラッセルズ。
20歳にはワールドタイトルを獲得して39歳までに11回のタイトルを獲得。
トラッセルズでは2005年から2012年の8年間の間に6度も優勝している。
これらの記録の他、プロサーファーとして受賞可能な賞をほぼ全て手に入れた史上最高のサーファーであることは、誰もが認めるところだろう。
あれから35年後。
53歳でまたトラッセルズの舞台に上がったケリーの心境とは?
いくつかの質問をピックアップしてみた。
1990年にトラッセルズで勝った時のことを話していましたが、35年後の今、ここでサーフィンしている自分を想像できましたか?
当時は全く想像できなかったね。
でも、歳を重ねていくうちに、そう思うようになったよ。
サーフィンが大好きなんだ。それがレベルを維持し、体を鍛え、全ての準備を続けるモチベーションになっている。
18歳の時に『あと35年も…50代でこれだけサーフィンしているなんて』って考えると、正直凄く驚くよね。
トラッセルズでは何度も勝っているけど、特に印象に残っている思い出は?
1990年の初めて勝った時だね。
その頃は高校の最終学年の始まりで、丁度クイックシルバーと契約したばかりで興奮していたんだ。
まだ高校生だったのに契約して、この大会に勝てたのは本当に凄いことだった。
その頃、”Kelly Slater in Black and White”という作品の撮影もしていた。その作品のセリフを今でもサーフィン界でよく引用される。
そんなことが一気に起こっていたんだ。
キャリアのピーク時と50代の今、競技に対する考え方は変わった?

何を目指すかによるね。
若い頃は世界タイトルを勝ち取ることに集中していて、ミスしないことにとても神経質になっていた。
今は、コンテストに勝つのは楽しいけど、人生の全てではない。
若い頃は、どのヒートも今まで手にしたことのない大金で、生活費を稼いだり貯金して家を買うことを目標にしていたからね。
今は11ヶ月の息子もいて、29歳の娘もいる。コンテストに出るか出ないかは気分次第。出ればベストを尽くすけど、ポイントや賞金のためではなく楽しみのためにサーフィンしているよ。
一般の人にも、弁護士でもデスクワークの人でも、アスリートの卵でも、何かアドバイスは?
過去に生きていても仕方がない。
良いことも悪いこともあったとしても、毎日が新しい日だ。
もし前にすごく良いことがあっても、それが今日も続くとは限らないよ。
オリンピックへの関わりについて考えたことは?
カリフォルニアに来るなら、夏はここが一番の波だよ。
とても安定しててパフォーマンスが高い波だからね。
オリンピックに関わることについてはまだあまり考えていない。
自分から名乗りを上げるか、誰かから声がかかるか分からないけど、もし関われるなら、開会式などで関われたらすごく光栄だと思う。
若い頃の自分にアドバイスをするとしたら?
僕の父が亡くなる前に最後に言ったことがあった。
「そんなに真剣に考えすぎるな」ってね。
子どもの頃は色んなことを真剣に受け止めすぎてた。両親が離婚した時は特に大変だったし、そういうのは子どもにとって辛いことだよね。サーフィンは僕にとって逃げ場であり、全てを解決してくれるものだったし、キャリアを作ってお金を稼ぐ手段でもあった。だからすごく真剣に取り組んでいたんだ。
でも父はもう少し気楽にやったほうがいいって思っていたと思う。
だからそのアドバイスはいいと思う。
それから、最後の波、最後のヒート、最後の大会の結果だけで自分を判断しないで。
これは長い道のりだから。今はキャリアもずっと長くなってる。健康管理や長寿のためのバイオハッキングもあるしね。だから1シーズンや1大会の結果で一喜一憂する必要はない。
そこから学んで積み重ねていくことが大事なんだ。
あなたの今の存在や革新は、スポーツにとって初期の時代と同じくらい価値があります。 これからもサーフィンを続けますか?
もちろん、サーフィンは続けるよ。
いつか海で死にたいと思っている。それが自分には安らかな最期かなと思う。
多分100歳くらいでね。100歳で60ftの波にチャレンジしたい。
いや、100歳で100ftに挑戦したりできたら最高だよね。
息子もサーフィンを好きになってくれたらいいな。一緒に海に入れたら嬉しいね。
ゲームばかりするかもしれないけど、今のところ、僕のサーフボードに乗って遊んでるから、興味はあるみたいだよ。
(黒本人志)