今ではスマートフォンを開けば、全国の波がライブカメラやリアルタイムの波情報で確認できる時代になった。
しかし、サーフィンカルチャーの創成期ともいえる1970年代はもちろん、70年代後半の成長期、1980年前後からの全盛期においても、そんな便利なものは存在しなかった。
現地に馴染みの駐車場やSHOPに前日、電話をかけまくるか、80年代に出来たWave Reportという前日の波情報をまとめたテレフォンサービスなどを参考程度に利用したが、結局、最終的には天気図を見て週末の旅先を決めていた。
もっとも、海から遠い大阪で、なぜそこまでサーフィンが広がったのか。
その背景には、1970年代後半から80年代にかけて大阪ミナミで急速に広がったカリフォルニアカルチャーの存在があった。
アメリカ村と呼ばれるようになるエリアには、サーフショップや輸入雑貨店、古着店が集まり始め、サーフィンは単なるスポーツではなくライフスタイルとして若者たちを魅了していった。
ロン毛にネルシャツ、色落ちしたジーンズ、ビーサンやデッキシューズ。
サーフミュージックが流れ、サーファーディスコが賑わい、海へ行かない日でも街の中でサーフカルチャーを感じることができた。
最盛期には、サーフポイントがひとつも存在しない大阪に100軒を超えるサーフショップがあったとも言われている。
今では想像もつかない話だが、それだけ当時の若者たちは海や自由なライフスタイルに憧れていたのである。
そして、その憧れが週末のサーフトリップへと繋がり、西日本独特の「旅するサーフカルチャー」を生み出していった。


大阪を中心とする関西サーファーたちは、週末になると仲間とワンボックスカーに乗り込み、伊勢・国府の浜、日本海の京都や鳥取、四国や南紀へと向かった。
当時のサーフィンのほとんどは、今のような「現地集合・現地解散」ではない。
サーフショップを中心に先輩・後輩が集まり、ひとつのチームとなり海へ向かう文化だった。
先輩たちは波乗りを教えた。
サーフスポットの選び方、行き方からサーフィンのやり方はもちろん、ポイントごとのルールやマナーまで伝えた。
そして後輩たちは、その先輩たちに連れられて全国各地の波を知り、やがて海外のサーフディスティネーションへも旅立っていった。
サーフショップは単なる販売店ではなく、学校であり、旅の案内所であり、コミュニティそのものだったのである。

関西サーファーたちは、とにかくハングリーだった。
湘南や千葉のように海が近くにはない。
だからこそ波を求めて走った。
日本海、四国、南紀、九州、伊良湖、そして静岡。
まだ広く知られていなかったポイントを探し、仲間と情報を共有しながら各地を開拓していった。
やがてその行動範囲は海を越え、種子島や奄美大島といった離島にも及ぶ。
現在ではサーフトリップの聖地として知られるこれらの島々も、関西サーファーが訪れ開拓していったともいえる。
もちろん、今日に至る過程で様々な問題も生まれた。
大人数での来訪による混雑。
マナーや駐車問題。
ローカルとの摩擦。
それでも彼らは波を求め続けた。
そして訪れた土地を好きになり、やがて移住していく者も少なくなかった。
1984年発行のサーフィンクラシック誌では、編集長だった石井秀明氏がそんな大阪サーファーたちを、中国各地に広がる華僑になぞらえて「華阪(かはん)」と表現した。
特集『OSAKA BAY BLUES』では、その独特な生態がユーモアたっぷりに描かれていたのだが、その時の話が先日発売されたTHE SURFER’S JOURNAL誌の植田昌宏氏の特集でも用いられていた。
全国どこへ行っても関西人がいる。
ポイントにもいる。
ショップにもいる。
気がつけば移住している。
そして、海外にもいる。
気がつけばショップを始め、宿を営み、サーフガイドとなり、その土地の一員となっている。
良くも悪くも、大阪サーファーたちは波を見つけるだけではなく、自らの居場所まで見つけてしまったのである。
だからこそ「華阪」という表現には単なる揶揄ではなく、どこか賞賛にも似たニュアンスが含まれていたのかもしれない。
石井氏自身は、後の人ごとに都合よく解釈されれば、それに超したことはありませんと語っていたが、
そんな時代の流れが確実に今のシーンに繋がっているといえる。
また、興味深いのは、東西でサーフカルチャーの方向性が少し異なって発展したことだ。
関東がコンペティションやスタイルを重視する文化を育んだ一方で、西日本ではビッグウェーブへの憧れが強かった。
日本海の冬波。
南紀のリーフ。
四国の台風スウェル。
種子島や奄美の外洋ブレイク。
そして海外の秘境へ。
波を追い求める旅そのものが、西日本サーファーのアイデンティティとなり、
今もなお数多くのビッグウェーバーが生まれ続けている。

あの頃から40年、50年程が経過し、当時の若者たちは、ショップオーナーになり、シェイパーになり、ローカルリーダーとなり、レジェンドになった。
そして、その子どもたちや孫の世代が再び波に乗り始めている。
第1世代から第2世代へ。
第2世代から第3世代へ。
時代は変わった。
しかし、週末になると仲間と車を走らせ、見知らぬ波を求めて旅に出る。
そのDNAだけは、今も西日本サーファーたちの中に脈々と受け継がれている。
波を追い、仲間と旅をし、新しい場所を知り、その土地の人々と出会う。
西日本サーフカルチャーの原点は、海そのものだけではなく「旅」にあったのかもしれない。
そして、その旅は今も続いている。
